日本大百科全書(ニッポニカ) 「不妊虫放飼法」の意味・わかりやすい解説
不妊虫放飼法
ふにんちゅうほうしほう
害虫防除の一方法。この方法は、アメリカの昆虫学者ニプリングE. F. Kniplingにより考案された害虫防除法で、防除対象の昆虫を人工的に大量に増殖し、この昆虫を放射線や化学不妊剤などによって生殖細胞を破壊して不妊虫として自然個体群中に大量に放飼する。放飼された不妊虫の雄は野生の昆虫と交尾することにより、孵化(ふか)しない卵を産ませる。不妊虫の雌は野生の昆虫と交尾しても産卵しないか、または、かりに産卵しても卵は孵化しない。不妊虫を大量かつ連続的に放飼することにより、野生昆虫に対する不妊虫の比率は、世代を追って加速度的に上昇し、野生虫の子孫を減少させ、根絶を図ろうとする方法である。この方法は、雄の果たす役割が大きいので、不妊雄放飼法ともいう。
この防除方法は、(1)処理を受けた昆虫自身が野外の個体を探し出して影響を広める、(2)抵抗性の発達がない、(3)目的の種類以外に影響がない、(4)残留毒性を考えなくてもよい、(5)根絶を達成するとその後の防除が必要なくなる、など多くの利点がある。
その反面、この方法を実施するためには、対象害虫についてあらかじめ多くの生態学的研究が必要であり、次のような条件が満足されなければならない。(1)人工大量飼育ができること、(2)雄の行動範囲が広いこと、(3)不妊処理が生存率、移動分散力、生殖行動に悪影響を与えないこと、(4)野外個体数があまり多くならないか、またはほかの防除手段であらかじめ低密度に下げられること、(5)雌の交尾回数が少ないこと、(6)放飼した虫自身が害をしないこと、(7)処理地域はなるべく他地域と地理的に隔離され再侵入が防がれていること、など。
この方法は、家畜の害虫であるラセンウジバエscrew worm/Cochliomya hominivoraxに対して初めて試みられ、すばらしい効果をあげた。1954年、ベネズエラ沿岸のキュラソー島で実験を行い、1955年根絶した。さらに、アメリカのフロリダ半島を中心に不妊虫放飼法を実施した結果、1959年根絶に成功し、この方法の有効性が実証された。さらに、このような条件を満たすものとして、果実の大害虫であるミバエ類のウリミバエmelon fly/Dacus cucurbitaeに対して、マリアナ諸島のロタ島で1962年から1963年に実施し、根絶した。また、ミカンコミバエoriental fruit fly/Dacus dorsalisでは、雄除去法(誘引殺虫剤などで雄を誘殺し続けて根絶を図る)と組み合わせて、マリアナ諸島から1965年に根絶した。近年、チチュウカイミバエmediterranean fruit fly/Ceratitis capitataなどのミバエ類が侵入拡大している多くの国で、この方法による防除が実施されている。ミバエ類のほか、ヒロズキンバエ、ハマダラカ、コドリンガ、ワタミゾウムシなど多くの害虫でこの方法が試みられたが、成功した例は少ない。
日本では、1970年(昭和45)沖縄県久米(くめ)島に侵入したウリミバエに対して、根絶を目的とした不妊虫放飼法による防除事業を行い、1977年根絶に成功した。この成功を基礎に、日本でウリミバエの生息している鹿児島県と南西諸島において、それぞれ1979年、1980年から不妊虫放飼法による防除事業が開始され、喜界(きかい)島では1985年に根絶が達成された。一方、小笠原(おがさわら)諸島でも、1975年から雄除去法と不妊虫放飼法を組み合わせてミカンコミバエの防除が実施され、1984年に根絶した。
[田中 章]
『深谷昌次・桐谷圭治編『総合防除』(1973・講談社)』▽『石井象二郎編『昆虫学最近の進歩』(1981・東京大学出版会)』