デジタル大辞泉
「世界救世教」の意味・読み・例文・類語
せかい‐きゅうせいきょう〔‐キウセイケウ〕【世界救世教】
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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世界救世教 (せかいきゅうせいきょう)
岡田茂吉(1882-1955)が開いた大本教系の新宗教。岡田は,青年期の肺結核を菜食療法で克服し,民間療法による病気治癒に努めた。1928年大本教布教師となったが,31年神示により霊界の転換と天時の到来を宣言した。34年岡田式神霊指圧療法をはじめるとともに大日本観音会を開教,35年に発足した。教義は,宇宙の主神を大光明真神となし,岡田の掌から放射する観音力で浄霊が行われ,万病が治るというものであった。たびたび弾圧をうけ,36年大日本健康協会と改称,宗教活動を断念した。47年日本観音教団として再建,50年五六七(みろく)教などを統合して世界メシヤ教と改編,ついで世界救世教となった。岡田は信者から〈お光様〉〈明主(メシヤ)〉とよばれ,人間の苦が病・貧・争にあるとし,貧も争も病からおこると説き,みずからを生神-救世主となして病・貧・争のない地上天国の実現を約束した。地上天国として箱根強羅に神仙郷,熱海桃山に瑞雲郷,京都嵯峨に平安郷を建設,さらに52年箱根美術館,57年熱海美術館(83年MOA美術館と改称)を開館した。
執筆者:大濱 徹也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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世界救世教【せかいきゅうせいきょう】
一時期,観音教・メシヤ教とも称した。教祖岡田茂吉〔1882-1955〕は東京の浅草に生まれ,病気と商売の苦労から大本教に入り,支部長をしていたが,1934年脱退。翌年大日本観音会を設立し〈神霊指圧療法〉を行った。1947年日本観音教と改称し,熱海に本拠を置き,1952年に世界救世教とした。観音が彼の体に入り,その観音力が掌(てのひら)から放射するとし,また自らメシヤ(救世主)と称し,地上天国の建設を説いた。医薬を薬毒として排斥したり,肥料を使わない自然農法を唱えて話題となった。箱根,熱海に美術館や水晶殿を建設した。本部は静岡県熱海市桃山町にある。
→関連項目MOA美術館|箱根美術館
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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世界救世教
せかいきゅうせいきょう
1950年岡田茂吉によって創始された新宗教。世界メシア教ともいう。前身は 34年大本教を脱退し翌年創立した大日本観音会。肥料農法の弊害を警告して自然農法を提唱し,薬禍,薬害を警告しての浄霊活動が当局の忌諱に触れて弾圧を受け,活動を一時断念。第2次世界大戦後信教の自由となり,47年日本観音教団として再建した。本尊は大光明真神 (みろくおおみかみ) 。病,貧,争の原因は霊魂のけがれにあり,浄霊により,真,善,美の調和をもたらし,地上に天国を実現すると説く。総本部は静岡県熱海市。公称信徒数約 84万人 (1996) 。 (→MOA美術館 )
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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知恵蔵
「世界救世教」の解説
世界救世教
岡田茂吉(1882〜1955)が創始した新宗教。大本の信者であった岡田は1931年、千葉県鋸(のこぎり)山で啓示を受けた。大本を脱退後、大日本観音会を創立、病気治しを中心とした活動を始めた。何度かの名称変更を経て、現在の名称に。相手に手のひらをかざし、霊を浄める「浄霊」を中心的な活動とする。また、農薬や肥料を一切使わない「自然農法」を説き、各地に研修農園や実施農場を持つ。静岡県熱海市に本部を置く。信者数は公称約84万人。世界真光文明教団や神慈秀明会を始め、多くの教団がここから影響を受けた。
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
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