世界経済(読み)セカイケイザイ(英語表記)world economy 英語

デジタル大辞泉 「世界経済」の意味・読み・例文・類語

せかい‐けいざい【世界経済】

世界の全地域を範囲とする経済。各国の国民経済相互の依存・競争を通じて形成される、世界規模の経済活動。また、それに基づく経済体制。→国際経済

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共同通信ニュース用語解説 「世界経済」の解説

世界経済

世界全体の景気動向を指し、世界銀行や国際通貨基金(IMF)などの国際機関が毎年の成長率の推計や予想を公表している。近年では、世界的な金融危機リーマン・ショック」翌年の2009年と、新型コロナウイルスが大流行した20年にマイナス成長となった。安定的な経済成長に必要な財政、金融政策は、日米欧の先進7カ国(G7)や、先進国と新興国でつくる20カ国・地域(G20)の財務相・中央銀行総裁会議の主要議題になっている。(ガンディナガル共同)

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精選版 日本国語大辞典 「世界経済」の意味・読み・例文・類語

せかい‐けいざい【世界経済】

  1. 〘 名詞 〙 世界の全人類、および全地域を範囲として成立する経済。国際間の密接な交渉にともない、商品の生産は世界市場を目標に行なわれ、国民経済が世界的に接近して生成された経済。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「世界経済」の意味・わかりやすい解説

世界経済
せかいけいざい
world economy 英語
économie mondiale フランス語
Weltwirtschaft ドイツ語

2006年世界の総人口は約65億人を超えた。世界のGDP(国内総生産)の合計も約48兆ドルを超えた。世界の人口増加率は1960年代の年率2%台から2000年代には、1.14%に半減した。(「国連世界人口白書」)。だが世界人口は1日に約20万人、1年で、約7500万人が増加し、2013年には約70億人、2050年には約92億人になると推計されている。先進国の人口は減少していくが、途上国の人口は増加していくといわれる。とくに世界の人口大国は、約14億人の中国、約11億人のインド、約2億3000万人のインドネシアなどが目だっている。世界人口の変動は世界経済の動きを左右する。

 国連を構成する192か国の人々は、それぞれの国家の「国民経済」を形成し、同時に他国との貿易、通商、資本、技術、サービス、人間の交流などを通じて相互依存関係をもっている。貿易関係をみても、先進諸国間、先進国と途上国間、途上諸国間の貿易通商関係が進んでいる。一国の対外経済関係は貿易を拡大することで成長し、発展してきた。商品貿易の規模は世界全体で、輸出が約13兆ドル、輸入13.1兆ドル(2007)であった。今日、世界の総輸出額のGDPに対する割合は約24%である(2007年現在)。世界貿易の地域別、国別の占有率をみると、輸出額が上昇したのはアジアで、とくに中国、インドの増加率は高い。低下したのは、ヨーロッパ南北アメリカアフリカ、ロシアなどである。国別に貿易額の大きさをみると、アメリカ、ドイツ、中国、日本、イギリスイタリアの順である。また海外直接投資の伸びも著しい。1970年の約110億ドルから2000年には1.3兆ドル、約30年間に約100倍以上増大している。経済のグローバル化が進み、国際的に商品、資本、サービスそして人間の交流、労働力の移動も活発化している。日本人の出入国者数をみると、出国者数は1990年の約1100万人、2003年には約1300万人、そして2007年約1730万人へ増大し、外国人の入国者数は同じく1990年約350万人、2003年には約570万人、2007年には約915万人と増えている。

 経済のグローバル化は、貿易、投資、労働、観光などの面で、市場経済の世界的展開のもとに成立していると同時に、南北間格差、都市と農村の格差、世界的貧困層の増加も表面化している。アフリカ、中東、南米などの一部では、民族、宗教、貧困などの問題で紛争も多発している。

 一般的にいえば、諸国民経済は、相互に孤立閉鎖的関係でなく、相互依存、協力関係をもっている。こうした諸国民経済の対外関係を世界経済とよんでいる。それは諸国民経済間の国際関係を包括した、グローバルな規模における経済である。したがって世界経済とは、諸国民経済の生産力の発展に基づく商品、資本、技術、サービス、貨幣、労働力、観光の国際的相互関係を通じて形成される世界的な経済合成体であるということができる。

 なお今日グローバル化の進展のなかで、世界的に地球温暖化問題がおこり、先進国はもちろんのこと途上国においても、公害の深刻化、環境、生態系の悪化をどのように防止していくかも厳しく問われている。

 生産力、国際分業、国際通貨、国際信用関係の発展段階に対応して、世界の諸国民経済は、世界的規模で相互に経済上依存関係を展開する経済の総体であり、諸国民経済間の単なる相互依存関係ではない。

 各国の国民経済を相互に結合する要因は、商品、サービス、貨幣、資本、技術、労働力の国際的移動であって、生産力の発展に伴って、必然的に国際的経済関係を促進してきた。もちろん、国際的経済関係は、歴史的には国際分業として発展してきたのである。すなわち、各国民経済には、歴史的に、気候・資源・風土などの自然的条件ならびに先進国と開発途上国、帝国主義国と植民地・従属国といった社会的・経済的・政治的諸条件の相違があり、それによって生まれる各国民経済間の生産力の格差によって国際分業、さらには国際的な商品交換関係が生まれてきたのである。この点から世界経済の本質を知るためには、その歴史的発展を知る必要がある。

[清水嘉治]

世界経済の史的発展

世界経済の発展は、資本主義の歴史的発展と不可分の関係にある。すなわち、資本主義の発展に伴って商品生産と商品流通は国境を越えて拡大し、商品交換を主とする国際的な経済関係が形成され、そしてさらに資本主義が帝国主義の段階に入ると、商品の輸出と並んで資本の輸出が重要な意義をもつようになるのである。

 まず、他国に先駆けて19世紀初めに産業革命を達成したイギリスが、工業製品の輸出国として、世界経済のなかで指導的地位を占めるようになった。ついで19世紀中期には、フランス、ドイツ、アメリカなどでも産業革命が起こり、世界的規模で産業資本主義が確立した。それとともに、これら諸国による原料および海外市場獲得をめぐる競争が激化した。とくに1870年代から第一次世界大戦期(1914~18)にかけての資本主義=帝国主義諸国による原料と市場獲得競争はすさまじいものがあった。その結果、資本主義=帝国主義国家は先進国の市場は当然のこととし、ほとんどすべての未開発地域に進出し、これらの地域を資本主義の経済法則に巻き込み、市場経済を優先し、植民地・従属国化を進めた。

 第一次世界大戦中の1917年に、ロシアが資本主義世界経済から、社会主義国家建設を目ざして分離した。もちろん、世界経済の大勢は、依然として資本主義体制を中心としたものであった。しかし、しだいに資本主義の衰退を示す徴候が現れ始めるようになり、1929年にはついに、資本主義世界経済を根底から揺り動かした大恐慌が勃発(ぼっぱつ)した。資本主義諸国は、この大恐慌からの脱出を目ざして経済的国家主義およびブロック主義を採用したが、それが逆に世界貿易をますます縮小させ、脱出をいっそう困難にした。このような状況のなかで、世界経済における指導的地位は、これまでのイギリスから、しだいにアメリカへと移行した。その典型的事例は1944年7月22日、アメリカのニュー・ハンプシャー州プレトン・ウッズで調印された連合国の通貨会議の議定書にみられた。それはポンドからドル体制への為替相場の移行にあった。この固定為替相場体制は1971年のニクソン・ショックで事実上崩壊した。1973年から変動相場制に移行した。当時は固定為替相場を軸に世界経済を「安定化」させるという先進国アメリカの要求が承認された。世界経済は通貨ドルの指導体制に移行した。

 第二次世界大戦後の世界経済の変化をみると、アフリカ、中東、アジア、南米にみられた先進国支配の植民地体制は崩壊し、世界経済の構造も変化した。すなわち、世界経済は、1950年代から1980年代を通して米欧中心の資本主義とソ連、東欧、中国などの社会主義の両体制に大きく分裂し、両体制の対立・共存の時代に入った。資本主義世界体制のなかではアメリカが支配的地位を確立した。社会主義世界体制においてはソ連が支配力を発揮し、新たに東欧、中国などの社会主義諸国も誕生して、「計画経済」に基づく国際分業関係をもつようになった。さらに、かつての植民地・従属国の大部分が独立を達成して第三世界を構成し、先進国と依存ないしは対抗関係をもつようになった。だが、1989年から1991年にかけてソ連・東欧社会主義体制が崩壊し、自由経済市場システムを採用した。

 今日の主要な世界経済問題は、先進国アメリカ、EU(ヨーロッパ連合)、日本の各生産力(成長率などに代表される)の不均等発展にある。たとえば1995年の世界経済にとって注目された日米自動車摩擦では、アメリカ側は「自由貿易」の立場でなく、「管理貿易」の立場での要求であった。日本側は一貫して「自由貿易」を主張したが、最終的に妥協した。1990年代に入って、アメリカの世界市場戦略は、日本の市場開放を拠点に東アジア市場の獲得に向けられ、一方、EUは1999年の通貨統合によりEU市場の拡大を図っている。

 1980年代、1990年代にかけて東アジアの成長は注目すべきものがあり、それは中国の「改革開放」による市場経済の発展と連動していた。だが、1997年秋以降、タイ、フィリピン、韓国などの通貨価値の下落で、成長は緩慢になった。また日本も1991年以降バブル経済が崩れ、低成長・不況期に直面した。1998年3月の経済危機は政府の金融政策で引きのばされたものの、1998年10月のG7(先進7か国財務相・中央銀行総裁会議)は日本に対して抜本的な景気対策を要望した。1990年代アメリカはITの好需要に支えられ中成長の景気を持続したが、日本は低成長を続けた。だが2000年代になると、世界経済の停滞のなかで、中国、インド、インドシナの諸国は高成長率をみせた。日本は対米、対中国・東アジア輸出の増加で景気を回復したが消費需要は伸びなかった。自動車、電機、機械、建設関係の企業の需要は増大し、2007年なかばごろまで中成長を維持した。だが、賃金は増大しなかった。

 今日の世界経済は、先進国内部の所得格差、先進国間の経済摩擦、先進国と開発途上国との経済格差、産油開発途上国と非産油開発途上国との経済格差など、数多くの問題を抱えている。これらの難問を、どのようにして克服し、世界経済を発展させていくかが、これからの課題である。

 最近の世界経済は深刻である。2008年9月15日アメリカの大手投資銀行のリーマン・ブラザーズの経営破綻を契機に欧米の大手金融業が倒産状態に直面し、アメリカ、イギリス、フランス、日本などは公的資金を注入し、この不況対策に追われた。この金融大崩壊は実体経済に及び、自動車、電機、運輸、建設などの諸企業経営危機を招き、関連中小企業の経営危機、失業者の増大、非正規労働者の不安定、生活困窮者数の増大、格差拡大をもたらしている。アメリカ、ヨーロッパ、日本、中国、インドなどの諸国のみならず、途上国の不況も深刻である。世界経済は、この大不況をどのように克服するかを問われるであろう。それは2010年代の課題である。とくにドル基軸通貨体制の抜本的改革、国際金融改革、IMF体制の改革、国際的格差拡大の是正、G20の対等・平等の立場での国際経済改革、途上国と先進国の新しいあり方の構築、活力ある世界経済の構築などを真剣に考え、具体化していくべきではないか。このように問題意識をもって、各国の政策担当者は景気回復の具体策を考え実践すべきであろう。

[清水嘉治]

『清水嘉治著『世界経済の新構図』(1984・新評論)』『清水嘉治著『世界経済の統合と再編』(1996・新評論)』『清水嘉治著『激動する世界経済』(2000・新評論)』『伊藤元重著『ゼミナール国際経済入門』2版(1996・日本経済新聞社)』『森田桐郎著『世界経済論の構図』(1997・有斐閣)』『岩田勝雄著『21世紀の国際経済』(1998・新評論)』『中山弘正著『現代の世界経済』(2003・岩波書店)』『岩本武和・阿部顕三編『岩波小辞典 国際経済・金融』(2003・岩波書店)』『安宅川佳之著『長期波動からみた世界経済史――コンドラチエフ波動と経済システム』(2005・ミネルヴァ書房)』『J・E・スティグリッツ著、楡井浩一訳『世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す』(2006・徳間書店)』『水野和夫著『金融大崩壊』(2008・日本放送出版協会)』『金子勝、アンドリュー・デウィット著『世界金融危機』(2008・岩波書店)』『宮崎勇・田谷禎三著『世界経済図説』第2版(岩波新書)』『西川潤著『世界経済入門』第3版(岩波新書)』

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