世良田(読み)せらだ

改訂新版 世界大百科事典 「世良田」の意味・わかりやすい解説

世良田 (せらだ)

現在は群馬県太田市の旧尾島町に属し,その西部に位置する中世以来の大集落である。利根川の北岸の自然堤防上に立地し,集落の北側に水田が開かれ,南西で利根川に注ぐ早川がぐるりと回っている。中世は,新田荘世良田郷で,12世紀中葉に新田義重によって空閑地(荒蕪地)として開発され,その後,義重の子義季系(世良田氏)の所領となった。義季は1221年(承久3)に栄西の弟子の栄朝を招いて臨済禅長楽寺を開き,以後,この寺は中世を通じて禅宗と密教を兼修する関東の有力寺院となった。世良田郷は長楽寺の門前町として,市が開かれ,《太平記》に世良田の〈有徳人〉(富裕者)と記されるなど,この地方の経済の中心となった。江戸初期には,徳川氏の祖先の地ということで,長楽寺境内東照宮が開かれ,多くの参詣者が訪れた。郷内にある八坂神社の祭りは,近世・近代に有名である。
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百科事典マイペディア 「世良田」の意味・わかりやすい解説

世良田【せらだ】

上野国新田(にった)郡の南部,利根川北岸にある中世以来の集落。現群馬県新田郡尾島町(現・太田市)西部にあたる。1157年以前に新田義重により開発されて成立した新田荘内の空閑(こかん)郷19郷の一で,世良田郷と称された。義重ののちその子義季の系統(世良田氏)に伝えられ,1221年義季は栄西の弟子栄朝を招いて当地長楽寺を創建した。同寺門前には市も立てられ,《太平記》に〈新田荘世良田ニハ有徳ノ者多シ〉と記されるような,新田荘の経済上の中心地の一つとなった。また当地は東山道の分道に接していたことから宿駅でもあり,政治・軍事上の要地でもあった。江戸時代初頭には新田は徳川家康父祖の地とされ,1642年頃長楽寺境内に東照宮(世良田東照宮)が勧請された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「世良田」の意味・わかりやすい解説

世良田
せらだ

群馬県太田市西部の地区。国道17号が通じ、東武鉄道伊勢崎(いせさき)線世良田駅がある。重要な文化財が多い。承久(じょうきゅう)年間(1219~1222)に新田義季(よしすえ)が創建した長楽寺(ちょうらくじ)には、国指定重要文化財に「紙本墨書長楽寺文書」(117通)など、将軍徳川家光(いえみつ)が建てた隣接の東照宮には、太刀(たち)(銘、了戒(りょうかい))や鉄灯籠(とうろう)などがあり、そのほか県指定のものもたくさんあって、世良田徳川氏発祥の地といわれる。

[村木定雄]

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