世良田東照宮(読み)せらだとうしようぐう

日本歴史地名大系 「世良田東照宮」の解説

世良田東照宮
せらだとうしようぐう

[現在地名]尾島町世良田

尾島町の西端、はや川左岸にあり、祭神は東照徳川家康。法人名は東照宮。家康が新田世良田(得川)家の後裔を自称したため、世良田家始祖義季建立の臨済宗長楽ちようらく寺は寛永一九年(一六四二)天海住持により天台寺院に改められて厚く崇敬され、家康死後寺域内の南西部に東照宮が勧請された。勧請の時期については長楽寺中興年と同じ寛永一七年説(「慈眼大師御伝」長楽寺蔵)と同二一年一〇月一一日鎮座(「享保十七年東照宮由緒書」同寺蔵)とがあるが、当宮には天海の奏上によって下された寛永一九年銘の後水尾天皇宸筆の「東照大権現」の額が残されており、この前後に落成したものと思われる。鎮座敷地はかつて長楽寺の勅願別院真言しんごん院や開山堂があった場所である。真言密教の道場真言院は天台改宗に伴って廃絶し、開山堂も北寄りの現在地に移された。県指定史跡真言院井戸(甘冷泉・閼伽井)の現井戸枠は花崗岩製で寛永一九年一月一七日天海の修造

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「世良田東照宮」の意味・わかりやすい解説

世良田東照宮
せらだとうしょうぐう

群馬県太田市世良田町に鎮座。正しくは「東照宮」。徳川家康を祀(まつ)る。例祭日は4月17日。旧世良田村は、江戸幕府の祖世良田徳川氏の発祥の地で、当地の長楽寺(ちょうらくじ)には、徳川氏の遠祖義季(よしすえ)以下一族の墳墓十数基がある。当宮は1644年(正保1)、天海僧正(てんかいそうじょう)が3代将軍家光(いえみつ)の命を受け、日光東照宮より神像、神宝、社殿などを同寺境内に移して創祀(そうし)した。1875年(明治8)長楽寺より分離独立。1879年郷社に列した。社宝の太刀(たち)、鉄灯籠(とうろう)は国指定重要文化財本殿拝殿、唐門(からもん)の建造物も同じく重要文化財である。

[沼部春友]

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デジタル大辞泉プラス 「世良田東照宮」の解説

世良田(せらだ)東照宮

群馬県太田市にある神社。祭神は徳川家康。3代将軍家光が日光東照宮を改築した際、長楽寺住職天海が発願して旧社殿の一部を寺の南西部に移築、本殿を新築して東照宮を勧請したもの。本殿などは国の重要文化財、境内は「新田荘遺跡」として国の史跡に指定。

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