国東半島のほぼ中央、両子山の南の中腹に位置し、境内に両子川の水源地がある。足曳山総持院と号し、天台宗、本尊不動明王。境内は県指定史跡。六郷満山寺院の古刹として知られ、寺伝によれば、養老二年(七一八)仁聞の開基という。織豊期以降の成立と思われる六郷二十八山本寺目録(太宰管内志)によれば、中山分本寺一〇ヵ寺の一つにあげられる。安貞二年(一二二八)五月日の六郷山諸勤行并諸堂役祭等目録写(長安寺文書)に末山分両子寺とある。現在の奥院岩屋の上部岩壁に「建保三年歳次乙亥 九月十三日 願主良厳」の墨書が残る。明治一二年(一八七九)の古器物古文書取調書(県立大分図書館蔵)によると、銅経筒一点が本堂の傍らの高さ五丈余の岩壁に安置され、岩壁には「建保五丁丑春願主良厳」と記すとある。このことから、建保三年(一二一五)頃には現在の奥院に相当するなんらかの施設が作られていたと推測できる。一四世紀に入るとそれまで末山分であったのが中山分となる。鎌倉時代を通じて六郷山寺院としてとくに山岳練行の寺として整備されていったといえよう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
大分県国東(くにさき)市安岐町(あきまち)両子にある天台宗延暦寺(えんりゃくじ)派の寺。足曳山(あしびきさん)総持院と号する。本尊は不動明王。また奥の院本殿には千手観音(せんじゅかんのん)、両子大権現(だいごんげん)と称する男女一対の神像、宇佐八幡(はちまん)、仁聞菩薩(にんもんぼさつ)を祀(まつ)っている。718年(養老2)仁聞菩薩が開基した神仏習合の霊場と伝えられ、国東半島に古代以来展開したいわゆる六郷満山(ろくごうまんざん)と称せられる仏教文化圏の一中心であった。境内には、高さ3.6メートル余の国東塔(鎌倉期作、県指定文化財)をはじめとして、国東半島独自の仏教遺物が数多くあり、また修正鬼会(しゅしょうおにえ)に使用される鬼面鈴鬼(県指定有形民俗文化財)、六郷満山関係の古文書を所蔵している。境内は県史跡。
[水谷 類]
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