デジタル大辞泉
「中尾都山」の意味・読み・例文・類語
なかお‐とざん〔なかを‐〕【中尾都山】
[1876~1956]尺八家。初世。大阪の生まれ。本名、琳三。虚無僧として修業ののち、明治29年(1896)都山流を創始。
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なかお‐とざん【中尾都山】
- 尺八演奏家。初世。本名琳三。大阪出身。明治二九年(一八九六)都山流を創立。古曲を採譜する一方、作曲も行なった。大正一一年(一九二二)宮城道雄らと新日本音楽運動を進めた。近代尺八の祖。明治九~昭和三一年(一八七六‐一九五六)
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中尾 都山(初代)
ナカオ トザン
- 職業
- 尺八演奏家 作曲家
- 肩書
- 都山流初代宗家
- 本名
- 中尾 琳三
- 生年月日
- 明治9年 10月5日
- 出生地
- 大阪府 茨田郡枚方町(枚方市)
- 経歴
- 油問屋の二男として生まれる。母は波多野流平曲家・寺内検校の娘で、家事の傍らで子女に地歌箏曲を教えており、邦楽に親しんで育つ。やがて納屋に放置されていた尺八を手にして独学し、27年頃に虚無僧として修業の旅に出た。29年大阪・天満で尺八指南を始め、都山流を名乗って初の尺八演奏会を開催。渡辺霞亭らが主催する一流芸術家による演奏演舞の鑑賞会・共楽会に出演して名声を得たが、貧窮生活に耐えかね、33年から約2年余にわたって旧知の増田合名社長の言に従って同社に事務員として勤務した。36年により尺八指南と研究を再開。37年日露戦争における広瀬武夫中佐の戦死を伝え聞いて、その有様を讃えるため「青海波」を作り、「春風」「岩清水」と次々に作曲。38年から都山流尺八宗家として門人に免状を出し、一時の制度廃止の後、職格制度(44年)や評議員制度(大正6年)を持つ組織的な家元体制を確立、一大流派に育て上げた。またこれまでに楽譜の必要性を感じて多くの演奏家のもとを訪ねて歩き、独自の尺八楽譜記譜法を考案しており、明治41年尺八教則書や尺八楽譜を公刊、好評を博した。大正4年箏曲家の米川琴翁夫妻とロシアへの演奏旅行を行い、5年からはたびたび朝鮮・満州への演奏旅行を行った。11年東京に進出し、宮城道雄らの新日本音楽運動にも力を貸した。昭和5年演奏活動を休止し、以降は門人の育成に専念。地歌箏曲との合奏普及にも努め、15年日本三曲協会設立に伴い副会長に就任した。20年戦災に遭い枚方に帰り、24年京都に移住。28年日本芸術院賞を受けた。他の作品に「磯馴松」「霜夜」「春の光」「寒月」「若葉」「朝霧」「八千代」「夜の懐」などがある。
- 受賞
- 日本芸術院賞(第9回)〔昭和28年〕 上方芸能人顕彰(昭和46年度)
- 没年月日
- 昭和31年 10月10日 (1956年)
- 家族
- 妻=中尾 都山(3代目),息子=中尾 都山(2代目),孫=中尾 都山(4代目)
- 伝記
- 竹韻一路 島原 帆山 著(発行元 新芸術社 ’90発行)
中尾 都山(2代目)
ナカオ トザン
- 職業
- 尺八演奏家
- 肩書
- 都山流2代目宗家
- 本名
- 中尾 稀一
- 生年月日
- 昭和19年 1月9日
- 出身地
- 東京
- 学歴
- 武蔵野音楽大学卒
- 経歴
- 幼時から、父親の初代宗家都山について尺八を学び、昭和30年2代目宗家を継いだ。
- 没年月日
- 昭和49年 10月12日 (1974年)
- 家族
- 父=中尾 都山(初代),母=中尾 都山(3代目)
- 親族
- 甥=中尾 都山(4代目)
中尾 都山(3代目)
ナカオ トザン
- 職業
- 尺八演奏家
- 肩書
- (財)都山流尺八楽会総裁,都山流3代目宗家
- 本名
- 中尾 レン
- 生年月日
- 明治38年 4月22日
- 出生地
- 新潟県
- 経歴
- 昭和49年に3代宗家襲名。
- 没年月日
- 平成2年 1月6日 (1990年)
- 家族
- 夫=中尾 都山(初代),息子=中尾 都山(2代目),孫=中尾 都山(4代目)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
中尾都山 (なかおとざん)
尺八家。都山流宗家の芸名。現在は3世。初世が最も有名。(1)初世(1876-1956・明治9-昭和31) 都山流の創始者。大阪府枚方の商家の出身。本名は琳三。母の美津(三都)は寺内検校の娘で地歌・箏曲にたんのうだったので,その指導下に少年琳三は三曲合奏の尺八を独習した。都山と号し都山流を称して1896年大阪で尺八教授を始めた。三曲合奏の尺八手付けを独自に工夫新作し,多数の尺八本曲を新作して自流の曲目を増やし,さらに記譜法,教授法,合奏形式などにも新機軸を打ち出し,近代的な家元制度を整えて門弟を増やし,短年月のうちに西日本に勢力を張った。1922年には本拠を東京に移し,新日本音楽の宮城道雄と提携して精力的な演奏活動を続けて流勢を全国的に拡大した。45年戦災にあい京都に移住したが,流儀の隆盛は続き,都山流は彼一代のうちに琴古流と並ぶ大流派となった。52年度芸術院賞受賞。作曲には《岩清水》《慷月調》など約30曲がある。(2)2世(1944-74・昭和19-49) 初世の実子。本名稀一。1955年2世襲名。(3)2世の早世後,跡目争いが生じて都山流は分裂し,2世の母と娘がそれぞれ3世を称して紛争が起こった。
執筆者:上参郷 祐康
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中尾都山
なかおとざん
(1876―1956)
都山流尺八家。初世。本名琳三、大阪府枚方(ひらかた)の出身。母方の祖父は、京都の地歌(じうた)の名手寺内大検校(けんぎょう)。祖父の合奏相手、近藤宗悦(1821―67)の尺八を母から学び、独学で合奏技術を身につけた。19歳で虚無僧(こむそう)修行に入り、明暗(みょうあん)の古典本曲(ほんきょく)などを学んだのち、1896年(明治29)に尺八指南を開始。外曲(がいきょく)(三曲合奏)尺八の作譜と独自の楽譜公刊により流の基礎を確立。さらに、洋楽的合奏曲の作曲や、宗家を頂点とした大組織の樹立に成功、琴古(きんこ)流と並ぶ都山王国を一代で築いた。都山の名は同流宗家名としてその実子、稀一(きいち)(1944―74)が2世を継ぎ、2世早世のため3世は初世の後妻レンが襲名した。2世の娘も3世を名のったことから内紛が起こり、分裂のきっかけとなった。4世は初世の孫が継いでいる。
[月溪恒子]
『田中義一著『中尾都山の生涯』(1989・ホーオー堂)』
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中尾 都山(1代目)
ナカオ トザン
明治〜昭和期の尺八演奏家,作曲家 都山流1代目宗家。
- 生年
- 明治9年10月5日(1876年)
- 没年
- 昭和31(1956)年10月10日
- 出生地
- 大阪府枚方市
- 本名
- 中尾 琳三
- 主な受賞名〔年〕
- 日本芸術院賞〔昭和28年〕
- 経歴
- 波多野流平曲家寺内検校の娘である母美津の指導を受け尺八を独習。明治27年19歳で虚無僧の旅に出た。29年大阪で尺八指南を始め、都山と号し、渡辺霞亭らが主催する共楽会に出演、名声を得た。37年尺八本曲「青海波」「岩清水」などを作曲、38年から門人に免状を出し、作曲と教授面で都山流を興し、41年職格制度を定め組織的な家元体制を確立した。大正11年東京に進出、宮城道雄の新日本音楽運動に参加、12年美音会技芸員、東京尺八学校講師、14年東京放送局名誉技芸員となり、15年大日本三曲協会副会長を務めた。昭和20年戦災に遭い枚方に帰り、24年京都に移住。28年に日本芸術院賞を受賞した。
中尾 都山(2代目)
ナカオ トザン
昭和期の尺八演奏家 都山流2代目宗家。
- 生年
- 昭和19(1944)年1月9日
- 没年
- 昭和49(1974)年10月12日
- 出身地
- 東京
- 本名
- 中尾 稀一
- 学歴〔年〕
- 武蔵野音楽大学卒
- 経歴
- 幼時から、父親の初代宗家都山について尺八を学ぶ。昭和30年2代目宗家を継いだ。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
中尾都山(1世)
なかおとざん[いっせい]
[生]1876.10.5. 枚方
[没]1956.10.10. 京都
尺八の都山流宗家。本名琳三。父は油問屋中尾治郎兵衛。母美都子は平曲の寺内検校の娘。母の指導下に尺八を独習。 1894年明暗教会の虚無僧となり,96年大阪に教授所開設,都山流を創始。独自の外曲を編曲したほか,多くの尺八曲を作曲して都山流本曲となした。 1922年東京に進出。宮城道雄らと提携して流勢を全国的に拡大。 45年戦災により京都に移住。作品は『青海波』『岩清水』『春風』ほか 300曲を数える。
中尾都山(2世)
なかおとざん[にせい]
[生]1944.1.9. 東京
[没]1974.10.12. 京都
尺八の都山流宗家。本名稀一。1世中尾都山の実子。武蔵野音楽大学卒業。 1955年2世宗家となり,父の没後襲名したが早世したため,3世宗家の名義は1世未亡人レン (1903~90) の預りとなった。
中尾都山(4世)
なかおとざん[よんせい]
[生]1948.3.
尺八の都山流宗家。1世中尾都山の長男の息子。本名正幸。 1992年4世を襲名。流派名を「都山流尺八楽会」と改めた。一方,2世の娘美都子は分派して「新都山流」の1世宗家を名のっている。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
中尾都山(初代) なかお-とざん
1876-1956 明治-昭和時代の尺八奏者,作曲家。
明治9年10月5日生まれ。尺八を独習し,虚無僧の旅で修行。明治29年大阪で教授をはじめ,都山流を創始。独自の楽譜を考案し,民主的な家元制度を組織した。昭和28年芸術院賞。昭和31年10月10日死去。80歳。大阪出身。本名は琳三。作品に「木枯(こがらし)」「岩清水」「慷月調(こうげつちょう)」など。
中尾都山(2代) なかお-とざん
1944-1974 昭和時代後期の尺八奏者。
昭和19年1月9日生まれ。初代中尾都山の子。都山流宗家。昭和30年2代をついだ。昭和49年10月12日死去。30歳。東京出身。武蔵野音大卒。本名は稀一。
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中尾 都山(初代) (なかお とざん)
生年月日:1876年10月5日
明治時代-昭和時代の尺八奏者;作曲家
1956年没
中尾 都山(2代目) (なかお とざん)
生年月日:1944年1月9日
昭和時代の尺八奏者
1974年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の中尾都山の言及
【宮城道雄】より
…20年洋楽系の[本居長世]との合同作品発表会の際に吉田の発案で〈新日本音楽〉と銘打ったが,以来これが宮城,吉田らの新作活動の通称となった。23年以来宮城は初世[中尾都山]とも提携,帯同して各地を巡演,都山流の組織により宮城曲は全国的に普及する。 1920年代は宮城の大活躍の時期である。…
【岩清水】より
…都山(とざん)流尺八本曲の代表的な一曲。1904年(明治37),初世[中尾都山]作曲。作曲者が日露戦争の戦勝祈願のために石清水八幡宮(京都府)に参詣したおりに,神域の幽玄静寂な環境に感じて作曲した尺八独奏曲。…
【寒月】より
…都山流尺八楽本曲。1911年2月,初世[中尾都山]作曲。同年の勅題〈寒月梅花を照らす〉にちなみ,凄絶(せいぜつ)な寒月の叙景と,それに寄せる作者の感懐を表現した曲。…
【慷月調】より
…都山流尺八楽本曲。1904年,初世[中尾都山]作曲。曲題は〈月に向かって慨嘆する調べ〉の意で,秋の名月の光を仰ぎつつ作曲したと伝える。…
【木枯】より
…都山流尺八楽の本曲の一つ。1923年11月,都山流流祖初世[中尾都山]の作曲。関東大震災ののち,一面焼野原と化した東京の芝公園の丘の上に立ち,吹きすさぶ木枯しにあたって万感胸に迫り,即興的に作曲した。…
【尺八】より
…普化宗は1871年(明治4)に維新政府の命令で廃止され,尺八も存亡の危機に面したが,[荒木古童]など当時の琴古流の指導者の尽力により普化宗を離れた楽器としての存続が認められ,以来,琴古流では本曲よりも外曲に力を注ぐようになり,東京を中心としつつ全国的に普及していく。一方,関西では宗悦流の影響が強く,早くから外曲が盛んだったが,その中から初世[中尾都山](とざん)が大阪で1896年に都山流を創始する。都山流は創始者自身の活発な活動とさまざまな新工夫によって短年月のうちに広まり,大正年間以後は琴古流と並んで尺八楽の二大流派となっている。…
【宮城道雄】より
…20年洋楽系の[本居長世]との合同作品発表会の際に吉田の発案で〈新日本音楽〉と銘打ったが,以来これが宮城,吉田らの新作活動の通称となった。23年以来宮城は初世[中尾都山]とも提携,帯同して各地を巡演,都山流の組織により宮城曲は全国的に普及する。 1920年代は宮城の大活躍の時期である。…
※「中尾都山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」