都山流(読み)とざんりゅう

  • とざんりゅう ‥リウ
  • とざんりゅう〔リウ〕

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

尺八楽の流儀。 1896年明暗系統の1世中尾都山が大阪で創始。独自の新作の本曲,装飾旋律の多い外曲編曲など,流祖の新しい芸風を流風の基とする。早くから新日本音楽と提携し,また尺八の大合奏など,新様式を積極的に開拓して演目を広げ,短年月の間に関西を地盤として全国的に流勢を拡大し,現在は琴古流とともに尺八界を二大分する。教授者の職格制度,評議員,理事などによる民主的流派運営など,近代的な流派統制組織を整えたが,2世都山没後分裂が生じ,1世夫人 (2世の母) の3世を経て4世都山を宗家とする都山流尺八楽会,2世の娘美都子を1世宗家とする新都山流,広島の島原帆山を初代会長とする日本尺八連盟の3派対立状態となっている。

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百科事典マイペディアの解説

尺八の流派名。初世中尾都山〔1876-1956〕が1896年に大阪で創流。琴古(きんこ)流と並んで二大流派の一つ。中尾都山は,虚無僧修行で独自の演奏法を創案し,《慷月調(こうげつちょう)》《岩清水》《青海波》など約27曲を作曲して同流の本曲と定め,楽譜刊行,講習指導などによってその普及に努め,1922年本拠を東京に移し(戦後京都に移転),宮城道雄とともに新日本音楽の発展に尽力,また演奏方法をステージふうに改めた。
→関連項目尺八中尾都山

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

尺八の流派名。初世中尾都山(1876―1956)が1896年(明治29)2月に大阪で創始した。当時の関西は、宗悦流の支流分派が外曲(がいきょく)(三曲合奏)尺八の中心勢力であったが、組織力に弱く、統一した流としてのまとまりを欠いていた。我流から出発した都山流は、独自の外曲と、普化(ふけ)宗から離れた音楽本位の自流本曲(ほんきょく)を打ち出す一方、近代的な流組織を整えて西日本を制し、やがて全国的な大流派に成長。記譜法、作曲法、演奏法、教授法に洋楽のアイデアを巧みに取り入れ、邦楽界に新風を巻き起こした。レパートリーは、初世都山編曲の外曲、流祖および門人作曲の本曲と新曲の3種があり、とくに近代的な大合奏曲に特色をもつ。現在、組織としては財団法人都山流尺八楽会、新都山流宗家、社団法人日本尺八連盟の3派に分裂するが、芸系としては同じ流れにある。さらに小さな独立会派をあわせて推定1万7000人を超える、尺八界最大の流派である。

[月溪恒子]

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精選版 日本国語大辞典の解説

〘名〙 尺八の一流派。明治二九年(一八九六)、大阪の初代中尾都山が始めたもの。使用する尺八は、裏孔の位置や歌口(吹口)にはめ込んだ角の形(三日月形)などで、琴古(きんこ)流の尺八と区別される。

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世界大百科事典内の都山流の言及

【尺八】より

…普化宗は1871年(明治4)に維新政府の命令で廃止され,尺八も存亡の危機に面したが,荒木古童など当時の琴古流の指導者の尽力により普化宗を離れた楽器としての存続が認められ,以来,琴古流では本曲よりも外曲に力を注ぐようになり,東京を中心としつつ全国的に普及していく。一方,関西では宗悦流の影響が強く,早くから外曲が盛んだったが,その中から初世中尾都山(とざん)が大阪で1896年に都山流を創始する。都山流は創始者自身の活発な活動とさまざまな新工夫によって短年月のうちに広まり,大正年間以後は琴古流と並んで尺八楽の二大流派となっている。…

【中尾都山】より

…尺八家。都山流宗家の芸名。現在は3世。…

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