昭和期の経済学者 元・一橋大学学長;元・中労委会長。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
経済学者。明治31年9月20日三重県伊勢(いせ)市に生まれる。1923年(大正12)東京商科大学(現在の一橋大学)を卒業、ドイツに留学し、シュンペーターに師事して理論経済学を学んだ。帰国後、母校の助教授を経て37年(昭和12)教授となる。戦後は、一橋大学学長のほか、学界、官界、労働界で各種委員や会長として活躍した。処女作『純粋経済学』(1933)は、大正末期から昭和初頭にかけて拡散していた日本の経済学界に新風を吹き込み、近代的な一般均衡理論を導入して学界の道標となった。その後、発展と均衡の分析において、ワルラス、シュンペーター、ケインズの経済理論の導入・普及および研究で優れた業績を示し、わが国に近代経済学を定着させた。理論面に加えて実際面でも、日本経済の実証的研究の推進や、研究者の育成・交流に重要な役割を果たし、政府関係審議会では、多くの洞察に基づくビジョンでエコノミック・アドバイザーの地位についた。また、終戦直後の46年(昭和21)には、新労働組合法のもとで新しく発足した中央労働委員会に初の公益委員として参加し、50~60年の10年間は会長を務め、戦後の混迷した労使関係の秩序確立に貢献した。昭和55年4月9日没。
[宮澤健一]
『『中山伊知郎全集』18巻・別巻1・補巻1(1972~81・講談社)』
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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