シュンペーター(読み)しゅんぺーたー(英語表記)Joseph Alois Schumpeter

日本大百科全書(ニッポニカ) 「シュンペーター」の意味・わかりやすい解説

シュンペーター
しゅんぺーたー
Joseph Alois Schumpeter
(1883―1950)

ケインズと並ぶ20世紀前半の代表的経済学者の一人。マルクスが死に、ケインズが生まれた同じ1883年に現チェコ領モラビアのトリューシュで生まれ、長じてウィーン大学法学部に入学。初め歴史学に関心をもったが、のち経済学に転じ、ベーム・バベルクの強い影響を受けた。チェルノウィッツ大学、グラーツ大学の教授を歴任し、第一次世界大戦直後の一時期、オーストリア政府の大蔵大臣を務め、同国の民間銀行の頭取として実業界で働いたこともある。1925年にボン大学の教授となり、32年以降はアメリカに移住してハーバード大学の教授となった。計量経済学会の創立者の一人で、その会長やアメリカ経済学会の会長も務めたことがある。1950年1月7日、アメリカのマサチューセッツ州タコニックで死去

 シュンペーターは25歳のときに処女作『理論経済学の本質と主要内容』(1908)を著し、ついで4年後の著作『経済発展の理論』(1912)で一躍、世界的にその名を知られるようになった。前者は、ワルラスの静学的一般均衡理論や当時のオーストリア学派の強い影響のもとに書かれたものであったが、後者ではすでにその動学化が図られている。シュンペーター経済学の核心ともいうべき経済発展の理論は、資本主義発展の原動力としての「企業者機能」に焦点をあてたところに特色がある。

 彼によれば、資本主義発展の担い手としての企業者が導入する新機軸innovation(技術進歩、生産組織の改善、新製品開発、新しい販路の開拓など)が経済発展の動力であり、それを可能にするのが銀行による信用創造であるという。この中心的な構想は、後年大作景気循環論』(1939)でも受け継がれ、新機軸導入による「創造的破壊」が景気循環を生み出す源泉であるとして、理論的、歴史的、統計的分析によって裏づける努力がなされている。ところが、晩年の代表作『資本主義・社会主義・民主主義』(1942)では、経済社会学的な考察から、資本主義の発展につれてこの企業者機能が衰退することや、政府介入の増大に伴う民間活力の弱化などの要因とあわせて、独特の資本主義崩壊論を導き出すとともに、社会主義がいかにすれば民主主義的になりうるか、という比較体制論的なところまで視野を広げている。そのほか、死後刊行された『経済分析の歴史』(1954)などの優れた著作がある。

[佐藤経明]

『日本経済新聞社編・刊『現代経済学ガイド――人と理論のプロフィール』(1985)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シュンペーター」の意味・わかりやすい解説

シュンペーター
Schumpeter, Joseph Alois

[生]1883.2.8. モラビア,トリーシュ
[没]1950.1.8. コネティカット,タコニック
オーストリア生れのアメリカの経済学者。 1906年ウィーン大学卒業,09年以後はチェルノビッツ,グラーツ各大学教授,19年オーストリアの K.レンナー内閣蔵相,21~24年ビーダーマン銀行総裁,25年ボン大学教授。 32年以降ハーバード大学教授。アメリカ計量経済学会創立者の一人で,37~41年同学会会長。ほかにアメリカ経済学協会会長,国際経済学協会初代会長などを歴任。彼は 20代ですでに『理論経済学の本質と主要内容』 Das Wesen und der Hauptinhalt der theoretischen Nationalökonomie (1908) ,『経済発展の理論』 Theorie der wirtschaftlichen Entwicklung (12) を発表して,みずからの体系を確立。資本主義時代の経済過程の分析を『景気循環論』 Business Cycles (2巻,39) にまとめ,また『資本主義・社会主義・民主主義』 Capitalism,Socialism,and Democracy (42) ,『経済学史』 Epochen der Dogmen und Methodengeschichte (14) ,『経済分析の歴史』 History of Economic Analysis (54) など著書多数。なお 86年に国際シュンペーター学会が設立された。

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