江戸中期の儒学者。名は若思(じゃくし)、字(あざな)は敬夫、通称は貞右衛門、東里は号。伊豆国賀茂(かも)郡下田(しもだ)村(静岡県下田市)の農民で医者を兼ねた重勝(しげかつ)の子として、元禄(げんろく)7年に生まれる。13歳で父の死にあい、禅宗の僧となる。数年後、浄土宗に移る。19歳で荻生徂徠(おぎゅうそらい)に入門し、ついで還俗(げんぞく)。しだいに朱子学に傾斜し、23歳で室鳩巣(むろきゅうそう)に師事。さらにのち陽明学に転向した。明和(めいわ)2年2月7日、相模(さがみ)国三浦郡浦賀村(神奈川県横須賀市)で死去。同村海関の日蓮(にちれん)宗東曜山顕正寺に葬られた。著書に『学則』『新瓦(しんが)』『東里遺稿(とうりいこう)』などがある。
[三宅正彦 2016年6月20日]
菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...