中根東里(読み)なかねとうり

精選版 日本国語大辞典 「中根東里」の意味・読み・例文・類語

なかね‐とうり【中根東里】

  1. 江戸中期の陽明学者。名は若思。通称貞右衛門。伊豆国静岡県下田の人。初め荻生徂徠師事したが、これを疑って室鳩巣に師事し、朱子学を学ぶ。のち陽明学に転じ、格物致知知行合一を説き、一元的世界観によって仁の本体を説いた。著に「学則」「東里遺稿」など。元祿七~明和二年(一六九四‐一七六五

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「中根東里」の意味・わかりやすい解説

中根東里
なかねとうり
(1694―1765)

江戸中期の儒学者。名は若思(じゃくし)、字(あざな)は敬夫、通称は貞右衛門、東里は号。伊豆国賀茂(かも)郡下田(しもだ)村(静岡県下田市)の農民で医者を兼ねた重勝(しげかつ)の子として、元禄(げんろく)7年に生まれる。13歳で父の死にあい、禅宗の僧となる。数年後、浄土宗に移る。19歳で荻生徂徠(おぎゅうそらい)に入門し、ついで還俗(げんぞく)。しだいに朱子学に傾斜し、23歳で室鳩巣(むろきゅうそう)に師事。さらにのち陽明学に転向した。明和(めいわ)2年2月7日、相模(さがみ)国三浦郡浦賀村(神奈川県横須賀市)で死去。同村海関の日蓮(にちれん)宗東曜山顕正寺に葬られた。著書に『学則』『新瓦(しんが)』『東里遺稿(とうりいこう)』などがある。

[三宅正彦 2016年6月20日]

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朝日日本歴史人物事典 「中根東里」の解説

中根東里

没年:明和2.2.7(1765.3.27)
生年:元禄7(1694)
江戸中期の儒者。名は若思,字は敬夫,通称は貞右衛門,東里と号した。伊豆(静岡県)下田の人。母のすすめで出家し証円と称し禅に努めていたが,中国語を好み,荻生徂徠に学ぶ。のちに徂徠学に疑いを持ち,室鳩巣 に師事して朱子学を修めるが,それでも満足できず,最終的には王陽明の学問に強い共感を覚える。陽明学徒として子弟の教育に当たり,高潔な人柄が知られる。代表的な著作に『学則』『東里外集』『東里遺稿』がある。<参考文献>大川茂雄「中根東里の伝」(『国学院雑誌』13巻12号)

(小島康敬)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中根東里」の解説

中根東里 なかね-とうり

1694-1765 江戸時代中期の儒者。
元禄(げんろく)7年生まれ。13歳で出家し,禅をまなぶ。江戸で荻生徂徠(おぎゅう-そらい)に師事して還俗(げんぞく)。のち室鳩巣(むろ-きゅうそう)に入門。陽明学に傾倒し,下野(しもつけ)(栃木県)で知松庵をひらいた。明和2年2月7日死去。72歳。伊豆(いず)下田(静岡県)出身。名は若思。字(あざな)は敬夫。通称は貞右衛門。著作に「学則」「新瓦」など。

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