養老令(ようろうりょう)では17歳以上20歳以下の人を中と称し、男性は中男と称したらしい。757年(天平勝宝9)4月には改制されて18歳以上21歳以下の男性を中男と称することになった。なお、大宝(たいほう)令では、中を少丁(しょうてい)・少女(しょうじょ)と称している。養老令で中という呼称を用いたのは唐令をまねたからである。もっとも、大宝令施行期間である717年(養老1)から養老令編纂(へんさん)とも関連して中男の用法が始まっており、757年の養老令施行時期までは少丁と中男とが併用されている。養老令では中男は正丁の調(ちょう)の4分の1、庸(よう)は免除しなかった。また717年以後は調の副物が廃止されるに際して、中男への調も廃止して、かわりに中男を役して納めさせる中男作物(さくもつ)という税目が成立した。中男作物の実例は正倉院宝物中の芥子(けし)布袋の墨書や平城宮出土の租税の荷札などにみえる。一般的傾向としては個人の納税責任者名が記されておらず国郡名しか記されていない場合が多い。あるいは集団的労働の収取であったからであろうか。
[鬼頭清明]
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中は律令制の年齢区分の一つ。養老戸令の規定で,男女17~20歳の者を中と称した。中男(大宝令では少丁)は,課役などの諸負担に際して,おおむね正丁(せいてい)の4分の1人分を課されたが,当初から庸が免除されたほか,中男の調も717年(養老元)に廃止され,中男作物も貢上に代わった。757年(天平宝字元)4月の,中男の年齢を18~21歳に引き上げる優遇措置は,藤原仲麻呂による民心掌握策とみられる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…律令では21歳から60歳までの男子を正丁とし,正丁に対して課役を賦課するのを賦役制度の基本とした。また61歳から65歳の男子を老丁,17歳から20歳までの男子を中男(大宝令では少丁)とし,老丁は残疾(21~60歳の軽度の身体障害者)とともに次丁とされ,正丁の課役の量の2分の1を課せられ,中男は正丁の4分の1を課せられた。したがって,正丁数に換算された課丁数を確保することが,律令国家の財政の基本となり,課丁数の増減は国司や郡司の勤務評定の重要なデータとされた。…
…律令時代の諸国からの貢納品の一種。律令では中男(17歳から20歳の男子,大宝令では少丁)に正丁(21歳から60歳の男子)の4分の1の調を課し,また正丁には調のほかに調副物として種々のものを納めさせていた。しかし717年(養老1)には,調副物を廃止するとともに中男の調も止め,その代りに,中央官庁が必要とする物品の必要量を概算して諸国に貢納を命じた。…
※「中男」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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