関山神社(読み)せきやまじんじや

日本歴史地名大系 「関山神社」の解説

関山神社
せきやまじんじや

[現在地名]妙高村関山

南西に妙高山を望む関山集落西方にあり、約一万一六〇〇平方メートルの神域に、うっそうと茂る木々に囲まれて社殿がある。祭神は国常立尊・伊弉冉尊・素戔嗚尊。旧県社。かつては関山三社権現といい、妙高山雲上寺宝蔵ほうぞう院が別当をつとめたが、明治の廃仏毀釈により宝蔵院は廃され、現社名となる。ほぼ南北に延びる戸隠とがくし山・妙高山・能生白のうはく(火打山)の一線状をなす山容は、古くから竜の頭・胴・尾に例えられてきた。これは戸隠神社(現長野県上水内郡戸隠村)の発祥が、九頭竜信仰に発したとする伝承に基づいている。山間寒冷地における農民の農耕神であり、日本海を航海する船や漁民守り神でもあった。宝蔵院が上野東叡山へ差出した天保一二年(一八四一)の分限帳(関山明良氏蔵)によると「開山 裸形上人」とある。また与越後国妙高山入峯先達号之状(御風記念館蔵)にも「夫当山元明天皇和銅年中裸形上人之開基越州第一之名山、弥陀応化之霊地也」と記される。裸形(行)上人は、熊野那智山の修験者に同名の人物がおり、妙高山開基を熊野の裸形上人とすると時間的なずれが生じる。いずれも後世の記録であるが、熊野系修験によって阿弥陀信仰が入ったことを物語る。神社を中心として数ヵ所にみられる「いけ込式」の石仏群や本殿近くから大正一五年(一九二六)に発掘された藤原期の経筒の存在などから、鎌倉初期頃までに熊野系修験が入ったとする説もある。

一方関山権現を加賀白山信仰の流れに位置づける見方もある。三社権現の中尊本地聖観音は飛鳥時代の新羅仏といわれ、県指定文化財であるが、加賀小白山別大行事の本地仏が聖観音であることと一致する。また左座の白山大権現の本地仏は十一面観音である。さらに室町期頃と推定される観音菩薩の左手と思われる銅造仏手一個が元禄一二年(一六九九)以前の火災で焼残って保存される。また関山権現社領五山の一つである火打ひうち山山頂から、昭和四八年(一九七三)鎌倉時代の銅造十一面観音菩薩懸仏が発掘された。これらのことを考え合せると、関山三社権現は平安から鎌倉期にかけて白山信仰圏に属していたといわれる。さらに白山信仰の流れをいうとき、信濃の戸隠神社の柱松神事があげられる。戸隠の柱松三本のうち左の一本は白山権現を表している。関山神社の大祭において、柱松の行事や棒術の主役は少なくとも近世中頃までは戸隠からの衆僧が執り行っていた。戸隠神社の地主神を祀る奥社は、戸隠神社発祥を九頭竜信仰に発するとする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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