日本大百科全書(ニッポニカ) 「丹波雅忠」の意味・わかりやすい解説 丹波雅忠たんばのまさただ(1021―1088) 平安時代の医師。康頼(やすより)の曽孫(そうそん)。本草(ほんぞう)家の父忠明(ただあきら)(990―?)に教えを受け、本草の知識に優れ、14歳で典薬頭(てんやくのかみ)付になった。その後、新制の施薬院(せやくいん)司使に任命され、終生その職にあって行政と診療に貢献した。1081年(永保1)、晋(しん)・唐の医書約23種から救急療法のみを抜粋して『医略抄』1巻を著した。その内容は『医心方』を簡略にしたものである。[山根信子][参照項目] | 医略抄 | 施薬院 | 丹波康頼 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
改訂新版 世界大百科事典 「丹波雅忠」の意味・わかりやすい解説 丹波雅忠 (たんばのまさただ)生没年:1021-88(治安1-寛治2) 平安後期の医家。康頼の曾孫。権医博士(1035)となり,のち備後介,丹波介,掃部頭の諸官を兼ね,1052年(永承7)後冷泉天皇に薬治を行って従四位下・侍医となり,57年(天喜5)典薬頭・右衛門佐に累進した。関白藤原頼通の病を治しその推挙で59年(康平2)施薬院使となり,丹波氏はこの職を世襲した。名声は海外にもきこえ,日本の扁鵲(へんじやく)(中国戦国期の名医)と称せられたという。著書に《医心方拾遺》《医略抄》などがある。執筆者:宗田 一 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「丹波雅忠」の解説 丹波雅忠 たんばの-まさただ 1021-1088 平安時代中期-後期の医師。治安(じあん)元年生まれ。丹波忠明の子。権(ごんの)医博士,丹波守,掃部頭(かもんのかみ),典薬(てんやくの)頭,施薬院使などをつとめた。永承7年後冷泉(ごれいぜい)天皇の病を治療し,さらに関白藤原頼通の病をなおした。日本の扁鵲(へんじゃく)と称されるほどの名医だったという。寛治(かんじ)2年2月18日死去。68歳。著作に「医略抄」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by