中国,《史記》に伝記のある周時代の名医。生没年不詳。姓は秦,名は越人で,渤海郡(いまの河北省)の人であるが,弟子とともに諸国を診療してまわり,扁鵲という名は趙の国に行った時に名のったという。彼は広範囲の病気を鍼(はり)や薬物などで治療しているが,脈摶による診断をもっとも得意としたという。《史記》には趙簡子が人事不省に陥った時に蘇生をいいあてた話,虢(かく)の太子が尸厥(しけつ)という病気にかかり死んだと思われていた時に,鍼石と熨法などを用いて治癒させた話,斉の桓公の顔色を見ただけで病気の所在を知った話などが記載されている。しかし同じ書の該当人物の伝にその記録がないことと彼らの生存年代が数百年にわたっていることから,扁鵲は実在の人物ではなくて数種の伝説をまとめたものであろうとか,山東地方にあった鳥の伝説が変化したものであろうなどの説がある。《難経(なんぎよう)》の撰者であるという説もあるが,それは彼の名声に仮託したものである。後世,名医の代名詞としても使われた。
執筆者:赤堀 昭
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生没年不詳。中国、戦国時代(前403~前221)の名医で、中国医学の祖師とされる。渤海(ぼっかい)郡(河北(かほく)省)の人。姓は秦(しん)、名を越人(えつじん)という。趙(ちょう)国にいたころ扁鵲とよばれた。伝記は『史記』中にみえ、それによれば、各地を遍歴し、諸侯や貴族の治療をはじめ、土地の風俗に従って、婦人を尊重する地では帯下(たいげ)医、老人を敬愛する地では耳目痺(じもくひ)医、小児を愛護する地では小児医として治療した。診断に精通し、とくに脈診に優れていた。治療法は鍼(はり)・湯薬(とうやく)・湿布(しっぷ)などを用いた。秦(しん)国の太医令李(りき)が技術的に勝る扁鵲を殺害した。
著作は、『漢書(かんじょ)』芸文(げいもん)志に『扁鵲内経』9巻・『外経』12巻と記載されているが、亡失して現存しない。
[山本徳子]
『藪内清著『科学史からみた中国文明』(1983・日本放送出版協会)』
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