中国、江西(こうせい)省北端の地級市。3市轄区、7県を管轄し、3県級市の管轄代行を行う(2018年時点)。長江(ちょうこう)(揚子江(ようすこう))の南岸、廬山(ろざん)の北麓に位置する。人口450万4207(2010)。湖北(こほく)、安徽(あんき)両省との省境にあたり、京九線に沿う。鉄道は長江を大鉄橋で横断し、1977年4月に開通、また武漢(ぶかん)との間にも鉄道が通じる。漢代には柴桑(さいそう)、尋陽(じんよう)2県の地であったが、隋(ずい)代には尋陽県に統合、彭蠡(ほうれい)、湓城(ぼんじょう)、潯陽(じんよう)などとしばしば改名され、五代(907~960)以後徳化(とくか)県とよばれ、明(みん)・清(しん)代には九江府治であった。1914年九江県となり、1949年県治と周辺部に市制を施行した。
江西省北部の物資の集散地であるとともに、長江の重要河港の一つで、水陸交通上の要地となっている。中華人民共和国成立以前は商業都市で、アヘン戦争後、天津(てんしん)条約で開港場となり、中国三大茶市の一つでもあった。中華人民共和国成立後、機械、紡織、化学、造船、陶磁器、食品加工などの工業が発展、農村部では米、ワタ、ナタネ(アブラナ)、アサ類、タバコを産し、水産業も盛んである。
名勝廬山、牯嶺(これい)のほか甘棠(かんとう)湖、能仁寺、天花宮、陶淵明(とうえんめい)(陶潜(とうせん))の墓と祠(ほこら)、鎖江楼(さこうろう)などがある。廬山は1996年、ユネスコ(国連教育科学文化機関)により「廬山国立公園」として世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。
[河野通博・編集部 2019年6月18日]
中国,江西省北部の市。人口55万(2000)。北は長江(揚子江)に面し,南は廬山を背にし,鄱陽(はよう)湖の入口にあって,長江中流域の要害の位置をなし,古くから戦略上の拠点であると同時に,水陸交通の要地であった。漢代から尋陽県が置かれ,三国時代には呉と魏の境界にあり,呉の水軍の基地であった。南朝により尋陽郡治が置かれて以来,江州,九江郡などと名称は変わっても,江西北部地区の中心で,茶や米の農産物,景徳鎮からの陶器,木材などの集散地として発展した。清末には,1858年(咸豊8)の中英天津条約で,漢口~上海間の要港として開港された。解放後,省直轄市となり,別に九江県があり,県治は市の南西の沙河鎮に置かれている。廬山は中国有数の名勝地であり,また市内には能仁寺大勝塔,烟水亭などの古跡があり,県南部の馬回嶺には陶淵明の墓がある。もともと九江の名は,《尚書》禹貢にみえ,その解釈をめぐっては古くから多くの説があるが,一般には今の九江市の北,湖北省南東部の,多くの河川が長江に合流していた地域を指すものとされている。
執筆者:秋山 元秀
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…春秋時代には楚の一部を占めていたようであるが,北部中原を中心とする歴史にはほとんど登場しない。わずかに上記の百越を呉が征伐しようとしたことや,現九江市付近で長江が扇形に分流して彭蠡沢(ほうれいたく)と称せられる湖沼を形成していたことなどが伝えられるのみである。しかし,早くから始まったとみられる水稲栽培を基礎に,居住区域が拡大し,北方からの影響も少しずつ強まっていたようである。…
※「九江」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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