日本歴史地名大系 「二宮神社」の解説
二宮神社
にのみやじんじや
二宮神社
にのみやじんじや
二宮神社
にのみやじんじや
大同二年(八〇七)坂上田村麻呂の勧請と伝える。天文一二年(一五四三)五月一五日付の毛利隆元・天野元政・吉川元春・小早川隆景らの再興棟札を残すというが(西志和村誌)、毛利隆元以外は年代的に矛盾する。「芸藩通志」は、大同二年八月坂上田村麻呂が造宮したという棟札があると記し、「大同の棟札に、鷺森、多賀、厳島、二宮大明神とあり、天文の棟札、及び鳥居の額は、厳島二宮と書す、按に、近江の多賀、伊弉諾尊を祭る、此社、多賀と、厳島の三神を祭る、故にしか称するにや、或は厳島の第二宮とするにや、また堀村の社を大宮と称すれば、これに対していふか」と記す。
二宮神社
にくうじんじや
二宮神社
にのみやじんじや
二宮神社
にのみやじんじや
二宮神社
にのみやじんじや
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報