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二条良実 にじょうよしざね

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

二条良実
にじょうよしざね

[生]建保4(1216).京都
[没]文永7(1270).11.29. 京都
鎌倉時代の公卿。五摂家のうち二条家の始祖。法名,行空。号,普光園院。九条道家の次男。母は西園寺公経の娘綸子。嘉禄2 (1226) 年元服。寛喜1 (29) 年従三位,のち権中納言,春宮権大夫兼左近衛大将権大納言内大臣右大臣を歴任。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

二条良実 にじょう-よしざね

1216-1270 鎌倉時代の公卿(くぎょう)。
建保(けんぽ)4年生まれ。九条道家の子。母は藤原綸子(りんし)。五摂家のひとつ二条家の祖。仁治(にんじ)3年関白,氏長者となるが,寛元4年父の寵愛(ちょうあい)する弟一条実経(さねつね)に関白をゆずる。同年父道家は名越(なごし)光時の乱に連座して失脚,良実は北条に内通したとして父から義絶された。弘長(こうちょう)元年関白に再任。従一位。文永7年出家,法名は行空。文永7年11月29日死去。55歳。号は普光園院。

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世界大百科事典 第2版の解説

にじょうよしざね【二条良実】

1216‐70(建保4‐文永7)
鎌倉中期の公卿。五摂家の一つ二条家の祖。九条道家の次男。母は西園寺公経(きんつね)の女倫子。内大臣,右大臣,左大臣を経て1242年(仁治3)には27歳で関白,氏長者になったが,父との仲が悪く義絶されて一時期職を奪われた。しかし鎌倉の将軍九条頼経(道家の子),頼嗣(頼経の子)をめぐる政争によって九条家が実権を失ったため,61年(弘長1)関白に還任した。法名行空。普光園院と号する。【清田 善樹】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

二条良実
にじょうよしざね
(1216―1270)

鎌倉時代の公卿(くぎょう)。号は普光園院(ふこうおんいん)。法名行空。五摂家の一つである二条家の祖。父は九条道家(みちいえ)。1242年(仁治3)関白(かんぱく)、氏長者(うじのちょうじゃ)になったが、父道家が弟実経(さねつね)を寵愛(ちょうあい)するところから父と不和になった。さらに父と将軍頼経(よりつね)父子の北条氏への陰謀事件から九条家一門が勅勘を受けたとき、良実は北条氏に内通していたので免れた。このことより父に義絶され、所領の分配も受けず、ついに一家をたてるに至った。[飯倉晴武]

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世界大百科事典内の二条良実の言及

【二条家】より

…藤原氏北家の嫡流。五摂家の一つ。九条道家の次男良実を始祖とし,家号は良実の殿第に由来するが,二条の坊名にちなんで銅駝(どうだ)の称もある。承久の乱後,時の権臣西園寺公経の女婿九条道家は,みずから摂政・関白に就任したばかりでなく,教実,良実,実経の3子を次々に摂関の座につけ,九条家の全盛を謳歌した。ところが1246年(寛元4)の名越氏,翌年の三浦氏の乱に関連して,道家および摂政実経が失脚するや,道家はこれを前関白良実の幕府に対する誣告(ぶこく)によるものと推断し,良実を義絶した。…

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