国家が貿易取引に対して、関税や非関税障壁により制限を加えることによって、国内産業の保護・育成などをしようとすること。保護貿易を認め実現しようとする思想や政策のことを保護貿易主義、保護貿易政策という。保護貿易主義は18世紀末から19世紀前半、イギリスの古典学派の自由貿易主義に対抗して、当時、新興工業国であったアメリカとドイツとで主張されたものである。
[田中喜助]
保護貿易主義の根拠は多様であり、自由貿易論のように体系化されたものではない。それは保護貿易を必要とする要請が各国の経済発展状況の相違から発生してくるためである。しかし、主たる根拠は次の3点にまとめられよう。
(1)幼稚産業の保護・育成 幼稚産業は、自由貿易では先進国との競争に勝てないので、関税その他の手段によって輸入品との競争から保護する必要がある。
(2)雇用増大のための保護 雇用水準を維持し、増大するためには、輸入関税などによって需要を輸入品から国産品に転換させる必要がある。
(3)国際収支改善のための保護 国際収支を改善するために関税などによる輸入抑制、補助金などによる輸出促進をする必要がある。
これらのうち代表的なものは(1)の幼稚産業保護論である。これはアメリカのA・ハミルトンにより主張され、ドイツのF・リストにより体系化されている。
リストはその著『経済学の国民的体系』(1841)において、経済発展段階説と生産力説に基づき幼稚産業保護論を展開している。これは古典学派のJ・S・ミルにもその理論的妥当性を認められている。リストは、まず国家の経済発展を、(a)狩猟時代、(b)牧畜時代、(c)農業時代、(d)農工時代、(e)農工商時代、の5段階に区分する。これらのうち最後の段階、つまり農工商という三つの産業の生産力が平均的に発展している段階が正常な状態であり、理想の段階であると考えた。しかし、その状態は自然に成立するものではない。そのため正常な状態の達成に至るまで、その国は保護貿易主義を採用すべきである。輸入工業品に関税を課すことにより、価格を騰貴させることになるが、将来は自国で外国から輸入するよりも安価に生産しうるようになる。それゆえ、保護関税のために失う交換価値は、将来の生産力育成のための教育費にほかならない。このように彼は、自由貿易主義は経済発展が最後の段階に到達したときに用いられるべきであり、それまでは保護貿易主義を採用すべきであると主張した。リストによると、この当時に正常な状態に達している国はイギリスのみであった。
幼稚産業保護を主張する場合、幼稚産業をどのような基準で選ぶのかが問題となる。これについてJ・S・ミルは、保護の対象となる産業は一定期間の保護育成後に自立しうる見込みのある場合としている。C・F・バステーブルC. F. Bastable(1855―1945)は、このミルの基準に加えて、自立後に得られる利益が保護育成の期間中に生じた費用を償って余りある場合には保護が容認されうるとしている。このような幼稚産業の判定基準をミル‐バステーブル基準という。
[田中喜助]
保護貿易の政策手段としては、(1)関税、(2)為替(かわせ)管理、(3)輸入数量制限、(4)国産品優先措置、(5)輸入課徴金、(6)輸出補助金、(7)輸出自主規制、などがある。これらの政策手段のうち、いかなる政策手段が優先されたかは時代により相違している。
19世紀から第一次世界大戦までの間は、当時の新興工業国であったアメリカおよびドイツがイギリスの工業に対抗するため保護貿易政策を強行した時代であり、この時代の主たる政策手段は(1)であった。ドイツは1879年に本格的な保護貿易政策に転換したが、これは宰相ビスマルクの関税改革によるものである。
1930年代の世界的大不況のときには、(1)(2)(3)とくに(2)および(3)が新しい政策手段として採用され、通貨・通商の両面から徹底した保護貿易政策が展開されている。
第二次大戦後の経済復興期における1940年代、50年代にも、(2)と(3)が主たる政策手段として用いられていた。しかし、IMF(国際通貨基金)・ガット体制による為替の自由化と貿易の自由化の推進により50年代末には(2)(3)の役割は後退し、これにかわって60年代、70年代には(4)(5)(6)が新しい手段として登場した。(4)の典型としてはアメリカのドル防衛対策としてのバイ・アメリカンがあり、(5)はイギリス、カナダ、アメリカの国際収支対策、EC(ヨーロッパ共同体。現EU=ヨーロッパ連合)の農産物保護対策として、(6)はアメリカ、ECの農産物輸出の促進に用いられている。70年代の後半から80年代には先進工業国間、先進工業国対新興工業国間の貿易摩擦が激発してきた。これに対してアメリカやECは(7)の手段で対応したが、これは差別的セーフガード(特定国からの輸入品に対する緊急輸入制限措置)ともいうべきものである。したがって、セーフガードは無差別に適用することを原則としているガット(現世界貿易機関=WTO)規定と相反するものであり、ガット・ルールの枠外での解決方法として批判された。
[田中喜助]
『赤松要・堀江薫雄監修『講座 国際経済(3) 国際貿易』(1961・有斐閣)』▽『藤井茂著『貿易政策』(1977・千倉書房)』▽『ジャン・マルセル・ジャヌネ著、渡部茂訳『新保護貿易主義』(1985・学文社)』▽『野林健著『保護貿易の政治力学――アメリカ鉄鋼業の事例研究』(1987・勁草書房)』▽『小室程夫著『EC通商ハンドブック――ヨーロッパ保護貿易主義の構造』(1988・東洋経済新報社)』▽『ヘンリー・ジョージ著、山嵜義三郎監訳『保護貿易か自由貿易か』(1990・日本経済新聞社)』▽『アン・O・クルーガー著、星野岳穂ほか訳『アメリカ通商政策と自由貿易体制』(1996・東洋経済新報社)』▽『ダグラス・A・アーウィン著、小島清監訳『自由貿易理論史――潮流に抗して』(1999・文真堂)』▽『ラッセル・D・ロバーツ著、佐々木潤訳『寓話で学ぶ経済学――自由貿易はなぜ必要か』(1999・日本経済新聞社)』▽『池田美智子著『ガットからWTOへ――貿易摩擦の現代史』(ちくま新書)』
自由貿易と対置される概念で,諸国間の貿易に国家が介入してこれに制限を加えることをさす。その手段は多様であるが,今日では,関税と非関税障壁(NTB。関税以外の諸手段の総称)に区別することが一般的である。よく論議される輸入の数量制限は後者の代表的ケースである。保護貿易は,経済的な立場のみならず,政治的,社会的,軍事的等さまざまな立場から,その正当性が主張されている。経済的立場からのおもな保護貿易擁護論は,交易条件論,幼稚産業保護論,ディストーション論,国際収支論,雇用論,関税収入論等であるが,このうち,一国の経済的厚生を高めるという観点から正当化されるのは前3者である。非経済的な立場からの擁護論としては,駆引き・報復論,国防論,食糧安全保障論等数多く存在する。さらに,産業レベルにおいてもそれぞれ個別に保護の必要性が強調される場合があり,産業の数だけ保護論があるともいわれている。
保護貿易と自由貿易の歴史的推移は次のようにまとめられよう。18世紀の末から他国に先がけて産業革命を経験し,工業化を達成したイギリスは,比較生産費の理論の教えるところにより,いち早く自由貿易を開始した。これに対し,遅れて工業化したアメリカやヨーロッパ諸国は,当初は幼稚産業保護論に基づいて保護貿易を行っていたが,工業が成長するにしたがい,しだいに自由貿易政策に転じ,1860-80年の期間には世界的な自由貿易の〈黄金時代〉が形成された。しかし,それ以後,経済的に同質化した先進国間の対立から保護貿易の傾向が高まり,第1次大戦,大恐慌等を経て1930年代にはブロック経済の時代となり,第2次大戦に突入するに至る。第2次大戦後は30年代の反省を基にアメリカの主導のもとで世界貿易の自由化が企図され,70年代に至るまで,無差別・多角的自由貿易を柱とするいわゆるIMF-GATT(ガツト)体制が維持されてきた。
しかし70年代に入りアメリカの経済力が相対的に低下するとともに,71年8月のドル・ショック(ニクソン・ショック),73年,79年の2度にわたるオイル・ショックを通してこの体制の根幹は大きく動揺し,先進諸国において再び保護貿易論が台頭するようになった。そして80年代に入ると,70年代の経済的混乱の影響による世界的な不況の深化を背景に,GATTの努力やOECDの貿易自由化宣言にもかかわらず,いっそう保護貿易の傾向が強まっている。これは,日本からの輸出増大により,日・米間や日・EC間に貿易収支不均衡問題が発生し,同時にアメリカやヨーロッパで失業率が急増したこと(いわゆる貿易摩擦,経済摩擦)によるものである。もとより,このような傾向に歯止めをかけようとする主張も存在し,83年のウィリアムズバーグ・サミット(先進国首脳会議)においても,少なくとも表面的には自由貿易体制の維持が合意されている。
最近の保護貿易的な手段や措置の特徴は,従来用いられてきた輸入国による関税引上げや輸入数量制限の強化という伝統的な方法に加えて,輸出国による輸出自主規制や市場秩序維持協定の締結といった新たな手段が登場し,自由貿易との間のグレーゾーンが拡大されていることである。
執筆者:村上 敦
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…中世以前の関税や第1次大戦前のイギリス,オランダ等の自由貿易主義国の関税は,もっぱら財政収入を目的としていたし,19世紀前半のアメリカでは,財政収入のうちの90%近くを関税収入が占めていた。重商主義以降は,主として国内産業保護,貿易収支の黒字が関税賦課の目的となった。財政収入を目的とする場合には,輸出関税や通過関税も用いられるが,産業保護を目的とする場合には,もっぱら輸入関税が中心となる。…
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[自由貿易への批判]
国際貿易理論が自由貿易による消費者や生産者の利益を明確に示しているにもかかわらず,その論理的帰結の現実的妥当性について疑問をなげかけ,政府による介入を積極的に支持する主張も少なくない。いわゆる保護貿易論がこれである。その一つは,自由貿易による最適な資源配分が静態的な状態を仮定のもとでの利益しか示さないとする批判である。…
…新憲法制定にさいしてのビュルテンベルク憲法論争において進歩的陣営につき,自由主義的な大臣バンゲンハイムに請われて1817年チュービンゲン大学の国家学教授となる。憲法改革を推し進める一方,フランクフルト・アム・マインに創設されたドイツ商工業同盟を指導して領邦間関税の撤廃を唱え,対外的には保護貿易を主張した。彼の言動はビュルテンベルク議会に進出するやますます急進性を帯び,そのため保守勢力の強い反発を招いて25年には国外亡命を余儀なくされた。…
※「保護貿易」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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