( 1 )「い」を「いそ」の転とするのは、用例の年代から見て誤り。五十を意味する最も古い言い方は「い」だが、平安・鎌倉時代に例の多い「いか(五十日)」のほかは挙例の「いせ(五十瀬)」が平安和歌に見えるのみである(「源氏‐賢木」の「すずか河八十瀬(やそせ)の波に濡れ濡れずいせまで誰か思ひおこせむ」は地名の伊勢と「五十瀬」を掛けたものか)。
( 2 )奈良時代には数詞としての用例はないが、「万葉集」には「五十日太(いかだ)」(五〇)「五十母不宿二(いも寝ずに)」(一七八七)「五十寸手(生きて)」(二九〇四)「五十戸常(言へど)」(六七四)のように「五十」を借訓仮名のイとして用いた例が多数あり、この時代にも「い‐」と言ったと思われる。
( 3 )「いそ(ぢ)」は、「みそ(ぢ)」「よそ(ぢ)」などからの類推で新たに作られた形。なお、五の意の「いつ‐つ」や五百の意の「いほ‐」との関係は未詳。
敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...