後拾遺和歌集(読み)ゴシュウイワカシュウ

デジタル大辞泉 「後拾遺和歌集」の意味・読み・例文・類語

ごしゅういわかしゅう〔ゴシフヰワカシフ〕【後拾遺和歌集】

平安後期の勅撰和歌集八代集の第四。20巻。承保2年(1075)、白河天皇の命により藤原通俊ふじわらのみちとしが撰し、応徳3年(1086)成立和泉式部らの歌約1200首を収録。後拾遺集

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精選版 日本国語大辞典 「後拾遺和歌集」の意味・読み・例文・類語

ごしゅういわかしゅうゴシフヰワカシフ【後拾遺和歌集】

  1. 平安末期の四番目の勅撰集。八代集の一つ。二〇巻。承保二年(一〇七五)、白河天皇の下命があり、応徳三年(一〇八六)成立した。撰者は藤原通俊。和泉式部、相模赤染衛門能因伊勢大輔ら三二〇人あまりの歌一二一八首を四季・賀・別・旅・哀傷・恋・雑など、一〇部に分類して収録したもの。女流歌人に焦点がおかれ、雑の部に神祇・釈教を新しく立て、叙景歌などに新風が見られる。後拾遺集。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「後拾遺和歌集」の意味・わかりやすい解説

後拾遺和歌集
ごしゅういわかしゅう

院政期に成った第4番目の勅撰(ちょくせん)和歌集。本来『後拾遺和歌抄』といった。藤原通俊(みちとし)撰(せん)、20巻、1218首。院政期初頭の王政復古政策の一環として、白河(しらかわ)天皇により企図され、1075年(承保2)命が下ったが、通俊が蔵人頭(くろうどのとう)の激務にあったため、9年後ようやく着手、1086年(応徳3)春、草稿本の成立をみた。その後、周防内侍(すおうのないし)、伯母(はくのはは)(康資王母(やすすけおうのはは))、源経信(つねのぶ)などの内覧を経る一方、名筆世尊寺伊房(せそんじこれふさ)に清書を依頼したが、不都合があって結局これを撰者の手元にとどめ(家本(いえほん))、撰者の甥(おい)、隆源法師が奏覧本を書いた。この過程で歌界の第一人者源経信との間に取り交わされた『後拾遺問答』(逸文を『袋草紙』に収める)により、撰入歌を切り出したり修正を加えたが、経信は飽き足りず、『難後拾遺』を著し、これが勅撰集論難書の嚆矢(こうし)となる。通俊は論難を重くみて奏覧本を再訂した(再奏本)。撰歌に賄賂(わいろ)を認めたとの風評から『小鰺(こあじ)集』と異名がつくなど芳しくない世評が伝わる(袋草紙)。しかし『古来風躰抄(こらいふうていしょう)』が評価するように、一条(いちじょう)朝以来の勅撰集空白期に累積した名歌は多く、とりわけ、和泉(いずみ)式部、相模(さがみ)、赤染衛門、伊勢大輔(いせのたいふ)などの閨秀(けいしゅう)歌人、能因法師とその先達、後輩の顔ぶれも多彩で、詠風、歌題意識も三代集と一線を画し、冷えさびた純粋叙景や四季、恋題意の細分化など中世和歌の萌芽(ほうが)をみうる。

[後藤祥子]

『藤本一恵著『後拾遺和歌集全訳注』全4冊(講談社学術文庫)』『上野理著『後拾遺集前後』(1976・笠間書院)』

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改訂新版 世界大百科事典 「後拾遺和歌集」の意味・わかりやすい解説

後拾遺和歌集 (ごしゅういわかしゅう)

勅撰集。八代集の4番目の歌集。《後拾遺集》とも呼ぶ。撰者は藤原通俊(みちとし)。20巻。1218首。1075年(承保2)に白河天皇の勅命を受け,86年(応徳3)春に草稿本,同年9月に奏覧本が完成。翌87年に改訂して再奏本を作った。組織構成は《古今集》に近く,〈仮名序〉と漢文序に相当する〈目録序〉を備えている点にも《古今集》回帰を感じさせる。主要歌人と歌数は,和泉式部67,相模40,赤染衛門32,能因法師31,伊勢大輔27,清原元輔26,大中臣能宣(よしのぶ)26,源道済22,藤原長能20,藤原公任19などである。《源氏物語》時代の王朝女流作家たちの重用が目だつが,新風の試みを示す和歌や平淡な叙景歌も広く多様に採られている。伝統的な発想や表現をうけながら,新しい言葉を機知的に用いようとする新風への意欲がみられる。通俊以上に撰者の資格があると評された当代の代表歌人源経信(つねのぶ)は,勅撰集に対するはじめての批判である《難後拾遺》を書いて反駁し,やすきについて的確な表現の乏しくなったことを非難した。
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百科事典マイペディア 「後拾遺和歌集」の意味・わかりやすい解説

後拾遺和歌集【ごしゅういわかしゅう】

平安時代,4番目の勅撰和歌集。20巻。歌数約1200首。白河天皇の勅命によって藤原通俊が撰集。1087年に完成した。和泉式部,相模,赤染衛門能因法師,藤原公任など,平安最盛期の文人・才媛の作を網羅する。当時の代表的歌人源経信がこの集について,最初の勅撰集批判の書《難後拾遺》を著した。
→関連項目新撰朗詠集八代集藤原保昌源隆国

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「後拾遺和歌集」の意味・わかりやすい解説

後拾遺和歌集
ごしゅういわかしゅう

平安時代後期の第4勅撰和歌集。 20巻。歌数約 1220首。承保2 (1075) 年白河天皇の勅命を受け藤原通俊 (みちとし) が撰,応徳3 (86) 年奏上,改訂して翌寛治1年再度奏覧。春 (上下) ,夏,秋 (上下) ,冬,賀,別離,羇旅,哀傷,恋 (一~四) ,雑 (一~六) に部立され,雑六に神祇,釈教など新しい部立が設けられたことなどが注目され,序も復活している。和泉式部,相模,赤染衛門,能因,伊勢大輔 (いせのたいふ) などの歌が多く,一条朝以後の摂関盛時を反映して,華麗で抒情的な歌が目立つ。清新な叙景歌や,斬新な発想,表現など,新しい傾向もみられ,源経信の『難後拾遺』のような論難書も出た。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「後拾遺和歌集」の解説

後拾遺和歌集
ごしゅういわかしゅう

第4番目の勅撰集。藤原通俊(みちとし)撰。白河天皇の命で1086年(応徳3)に奏覧,改訂をへて87年(寛治元)に完成。「古今集」以来の仮名序をもち,四季6巻・賀・別・羈旅(きりょ)・哀傷・恋4巻・雑6巻の20巻。歌数1218首。雑6に神祇歌と釈教歌をはじめて収録。主要歌人と歌数は和泉式部67,相模40,赤染衛門(あかぞめえもん)32,能因(のういん)31,伊勢大輔(いせのたいふ)27など。女流の進出が目立つ。源経信により勅撰集に対するはじめての論難「難後拾遺」が書かれた。「新日本古典文学大系」所収。

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世界大百科事典(旧版)内の後拾遺和歌集の言及

【津守国基】より

…和歌を好み,橘俊綱,良暹(りようせん)法師らと交流,表現面での新しさを求めて《万葉集》の用語を使用した歌を詠み,和歌史上注目される。《後拾遺和歌集》に3首入集したが,これは撰者に小鰺(あじ)を贈ったためとうわさされた。他の勅撰集に17首入集。…

※「後拾遺和歌集」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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