五明楼玉輔(読み)ゴメイロウ タマスケ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「五明楼玉輔」の解説

五明楼 玉輔(3代目)
ゴメイロウ タマスケ


職業
落語家

本名
川村 赤吉

別名
前名=金原亭 馬勢,金原亭 馬きん(2代目)

生年月日
嘉永1年 2月26日

経歴
3代目金原亭馬生の門人となり馬勢と名乗る。のち父の名を襲ぎ2代目金原亭馬きんとなる。馬生の後継者と目されていたが、若年より放浪し、東京に居つくことがなかったため、馬生の名は林々舎馬勇が襲いでしまう。帰京してからのち3代目五明楼玉輔を襲名する。自作の「開明奇談写真迺仇討」や「義士伝」などを得意とした。明治33年6月大箆坊寿観を名乗って講釈師に転じたが間もなく玉輔に復名して柳派復帰初代三遊亭円朝・春錦亭柳桜とならび称された。

没年月日
大正7年 10月19日 (1918年)

家族
父=金原亭 馬きん(初代)


五明楼 玉輔(4代目)
ゴメイロウ タマスケ


職業
落語家

本名
原 新左衛門

別名
初名=古今亭 志ん好,前名=古今亭 志ん多(新太),古今亭 今朝,五明楼 春輔

生年月日
安政4年 10月

経歴
徳川直参の旗本の家に生まれる。維新後は商人になるつもりで種々のことをやったが長続きせず、明治8年2代目古今亭志ん生に入門、志ん好と名乗る。翼9年西南戦争に従軍。3年の兵役を終えたのち、13年志ん多と改名。この頃から愛嬌ある風貌で“かっぱ”の志ん多とあだ名され人気を得る。25年頃今朝と改め、30年代の初め大阪へ出奔。三友派などに出演。38年五明楼春輔となり39年11月4代目玉輔を襲名する。晩年は「小言念仏」を十八番とし、柳家金語楼一派に属した。

没年月日
昭和10年 5月24日 (1935年)


五明楼 玉輔(2代目)
ゴメイロウ タマスケ


職業
落語家

本名
鈴木 重造

別名
前名=雀家 志う鶴(志う雀),五明楼 国輔,後名=玉の家 梅翁

生年月日
文政12年

経歴
初め初代雀家翫之助門で志う鶴(一説に志う雀)を名乗る。その後初代五明楼玉輔門に移り国輔と改める。慶応2、3(1866、7)年頃初代玉輔が連城亭玉童と改名したのに伴い師名を譲られ2代目玉輔となる。維新後一時廃業するが明治10年代には五明楼東雲・梅の家東司の名で山の手の端席回りをする。15、6年頃三遊亭円朝門下で円叟。次いで玉童・鼻光・五明老と改名を重ね、25年6月玉の家梅翁となった。初代同様「義士伝」を得意とし、門下から初代三遊亭円遊が出た。

没年月日
明治30年 9月16日 (1897年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「五明楼玉輔」の解説

五明楼玉輔(初代) ごめいろう-たますけ

1803-1868 江戸時代後期の落語家。
享和3年生まれ。江戸の人。船遊亭扇幸,ついで初代金原亭(きんげんてい)馬生に入門,2代をつぐ。のち講釈師の桃林亭東玉(とうぎょく),戯作者の2代烏亭(うてい)(立川)焉馬(えんば)にも師事,立川玉輔を名のり,嘉永(かえい)5年五明楼にかえる。もっぱら「義士伝」を演じた。慶応4年5月30日死去。66歳。通称は津国屋長三郎。著作に「鬼笑福茶釜」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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