デジタル大辞泉
「井上伝」の意味・読み・例文・類語
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いのうえ‐でん【井上伝】
- 久留米絣(くるめがすり)の創始者。筑後久留米の女性。絣織りを創案し、製品は「御伝加寿利」と呼ばれた。天明八~明治二年(一七八八‐一八六九)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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井上伝
いのうえでん
(1788―1869)
江戸後期の織女。久留米絣(くるめがすり)の創案者。絣技法は古くから行われていたが、庶民の木綿生産のなかで独自に工夫考案した。久留米通外町の米穀商平山源蔵の娘に生まれ、21歳で井上次八に嫁した。12、13歳のころ、自分の衣服の退色部分に白い斑点(はんてん)のできていることから、苦心して霰(あられ)織、霜降(しもふ)りと名づける素朴な絣を考案したのが、久留米絣の創始となった。のちに田中久重と協力して独自の絵絣を完成。40歳ごろには絣の技法を習得する者400余人に及んだといわれる。
[角山幸洋]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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井上伝【いのうえでん】
久留米絣(くるめがすり)の創始者。久留米の人。12〜13歳のころ,着物の色がさめて所々白くなっていることからヒントを得,手ぐくりによる防染で絣糸を作り,霜降絣,霰(あられ)絣と呼ばれる現行の絣織を考案したといわれる。これにちなみ,久留米絣は〈お伝絣〉とも呼ばれた。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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井上伝 いのうえ-でん
1789*-1869 江戸時代後期の女性。
天明8年12月30日生まれ。父は筑後(ちくご)(福岡県)久留米(くるめ)の米穀商平山源蔵。久留米絣の創始者。12歳ごろ,白糸をくくり藍(あい)でそめておる技法を考案した。おおくの弟子におしえ,お伝絣の名で普及した。明治2年4月26日死去。82歳。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の井上伝の言及
【絣】より
…また地方によって異なる素材や技術を生かして各地で独特な絣が生まれた。[久留米絣]の井上伝,[伊予絣]の鍵谷カナといった江戸時代に絣織を創始したといわれる人々は,各地に育ち始めた素朴な技術を,その地方独自のものに完成した。明治に入るとしだいに量産性と合理性が加わり,工業化・機械化も推し進められていった。…
【久留米絣】より
…筑後国(福岡県)久留米で1799年(寛政11)ごろ,井上伝(でん)(1788‐1869)の発明した綿織物。〈お伝絣〉とも呼ばれた。…
※「井上伝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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