井上 友一郎
イノウエ トモイチロウ
昭和・平成期の小説家
- 生年
- 明治42(1909)年3月15日
- 没年
- 平成9(1997)年7月1日
- 出生地
- 大阪府西成郡中津町
- 本名
- 井上 友一
- 学歴〔年〕
- 早稲田大学文学部仏文科〔昭和11年〕卒
- 経歴
- 商業学校在学中、野球と小説乱読で学業を怠け、そのために中退し、その後各中学を転々とする。昭和5年早稲田大学に入学し、6年「森林公園」を発表して川端康成に認められる。同人雑誌「桜」などに関係し、9年「道化者」を発表。11年「人民文庫」に参加。また都新聞に入り、13年特派員として中国戦線に従軍した。14年「残夢」を発表し、15年「波の上」を刊行して作家となる。以後、多くの現代小説、時代小説などを発表。24年に発表した「絶壁」は北原武夫や宇野千代をモデルにしたとして物議を醸した。日本文芸家協会理事などを経て、45年にゴルフ場の霞台カントリークラブを創立、自ら社長となる。主な作品に「竹夫人」「蝶になるまで」等があり、中間小説としても「銀座二十四帖」「女給夕子の一生」などの作品がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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井上友一郎
いのうえともいちろう
(1909―1997)
小説家。大阪生まれ。大阪、京都の中学を転々としたのち、早稲田(わせだ)大学専門部法科入学。在学中長田(ながた)秀雄に師事し、劇作家を志したが、田村泰次郎(たいじろう)、坂口安吾(あんご)らとの交友を通して作家になる決意を固めた。早大仏文科卒業後、都(みやこ)新聞社の記者となり、1939年(昭和14)、『マノン・レスコー』の日本版ともいうべきダンサーを描いた風俗小説『残夢』が丹羽(にわ)文雄によって激賞されたのを機会に新聞社を退き、作家生活に入った。戦後、風俗小説の中堅作家として活躍、代表作には『ハイネの月』(1947)、『蝶(ちょう)になるまで』(1947~49)などの作品がある。大阪人の庶民感覚を巧みな語り口でとらえた作品が多い。
[磯貝勝太郎]
『『筑摩現代文学大系61 井上友一郎他集』(1979・筑摩書房)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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井上友一郎 いのうえ-ともいちろう
1909-1997 昭和-平成時代の小説家。
明治42年3月15日生まれ。昭和14年「残夢」が好評をえて都新聞記者から作家生活にはいる。18年「竹夫人(ちくふじん)」を発表。戦後は丹羽文雄らと「風雪」の創刊にくわわり,風俗小説で人気を博した。平成9年7月1日死去。88歳。大阪出身。早大卒。本名は友一。作品に「絶壁」「蝶になるまで」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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井上 友一郎 (いのうえ ともいちろう)
生年月日:1909年3月15日
昭和時代;平成時代の小説家;実業家。霞台カントリークラブ社長
1997年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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