井筒屋庄兵衛(読み)いづつやしょうべえ

精選版 日本国語大辞典 「井筒屋庄兵衛」の意味・読み・例文・類語

いづつや‐しょうべえゐづつやシャウベヱ【井筒屋庄兵衛】

  1. 江戸時代京都書肆(しょし)俳書出版で知られ、蕉門の俳書はほとんどこの書肆より刊行されている。初代が初めて俳書を出版したのは承応元年(一六五二)で、以後百五十余年、五代にわたって出版活動を続けた。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典 「井筒屋庄兵衛」の解説

井筒屋庄兵衛(初代)

没年:宝永7頃(1710)
生年:元和7(1621)
江戸前期から後期まで続いた京都の書肆の初代。名は重勝。庄兵衛は代々通称。表紙屋の号で出版した,最も早い『若狐』(1652)以来,貞門俳人として自らも歳旦撰集を編むほか,『誹諧書籍目録』(1692)を刊行するなど,最初の俳諧書肆として専門出版に徹し,その点数は400余にのぼる。『冬の日』以下,蕉門俳書のほとんどを刊行し,その進展とともに俳壇における権威を確立した。2代重晴,3代重寛,4代寛治,5代荘兵衛ののち,文化5(1808)年刊『俳諧七部集』以後の活動は不詳。<参考文献>雲英末雄「俳諧書肆の誕生」(『文学』1981年11月号)

(安永美恵)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「井筒屋庄兵衛」の解説

井筒屋庄兵衛(初代) いづつや-しょうべえ

1621-1709ごろ 江戸時代前期の版元
元和(げんな)7年生まれ。京都の俳諧(はいかい)専門の書肆(しょし)。松永貞徳門人。貞門諸派,談林派の俳書を刊行,貞享(じょうきょう)-元禄(げんろく)期には蕉門の俳書のほとんどを出版するにいたった。宝永6年ごろ死去。89歳?姓は筒井。名は重勝。号は阿誰軒。編著に「誹諧書籍目録」。

井筒屋庄兵衛(2代) いづつや-しょうべえ

?-? 江戸時代前期の版元。
京都の人。元禄(げんろく)11年(1698)橘屋(たちばなや)治兵衛とともに俳諧(はいかい)選集「続猿蓑(さるみの)」を刊行した。みずからも俳諧をたしなみ,「初蝉」に句がのっている。名は重晴。

井筒屋庄兵衛(4代) いづつや-しょうべえ

?-1760 江戸時代中期の版元。
京都の人。宝暦6年(1756)「芭蕉(ばしょう)句選拾遺」を編集,刊行した。宝暦10年6月死去。名は寛治。号は麦郷観。

井筒屋庄兵衛(5代) いづつや-しょうべえ

?-? 江戸時代中期の版元。
京都の人。安永3年(1774)「芭蕉翁(ばしょうおう)発句(ほっく)集」を刊行した。名は荘兵衛。

井筒屋庄兵衛(3代) いづつや-しょうべえ

?-? 江戸時代中期の版元。
京都の人。元文-延享(1736-48)のころ約10年間出版活動をおこなったが,その内容は不明。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の井筒屋庄兵衛の言及

【本】より

…平賀源内《風流志道軒伝》《根南志具佐(ねなしぐさ)》(1763)などを先駆とし,次代には十返舎一九《東海道中膝栗毛》(1802‐22)が大当りし,式亭三馬《浮世風呂》《浮世床》などの傑作が出る。また,江戸時代には俳書がよく出版されるが,元禄(1688‐1704)ごろからは京都の井筒屋庄兵衛がこれを独占し,同様に謡本では山本長兵衛,浄瑠璃本では山本九兵衛などが独占した。江戸では須原屋茂兵衛の〈武鑑〉〈地図〉,大坂で炭屋五郎兵衛の後藤(芝山)点〈四書〉〈五経〉のような独占を生じた。…

※「井筒屋庄兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

南海トラフ臨時情報

東海沖から九州沖の海底に延びる溝状の地形(トラフ)沿いで、巨大地震発生の可能性が相対的に高まった場合に気象庁が発表する。2019年に運用が始まった。想定震源域でマグニチュード(M)6・8以上の地震が...

南海トラフ臨時情報の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android