交渉研究(読み)こうしょうけんきゅう(英語表記)negotiation research

最新 心理学事典 「交渉研究」の解説

こうしょうけんきゅう
交渉研究
negotiation research

心理学において,交渉negotiationとは2者以上の当事者が利害の不一致を解決するために共同で意思決定を行なう過程をいう。心理学が交渉を研究対象とするのは,実験室実験を用いて合意形成に及ぼす心理学的な規定因の解明をめざすためである。利害の不一致を解決する手段には,⑴当事者が共同で意思決定を行なう交渉や調停,⑵第三者の意思決定に当事者が従う裁判仲裁,⑶各当事者が別々に行動を選択する闘争回避があるが,交渉は双方にとって望ましい解決策を発見しやすいとともに,経済的なコストが低く,人間関係を維持しやすいといった点で有効な葛藤解決手続きの一つといえる。

【交渉の構造】 交渉は利害の不一致の程度によって分配的交渉と統合的交渉に分けられる。分配的交渉では,両者の利害は完全に対立しており,一方利益を得れば他方は同じ分だけ損失を被るゼロ和構造になっている。双方の取り分の合計はつねに一定であり,分配可能な資源量は固定されている。争点が一つの場合,その交渉は必然的に分配的となる。例として二人の姉妹が1個のオレンジを取り合う状況を考えてみる。仮に,オレンジを丸ごと得たときの満足度が2,半分得たときが1,相手に丸ごと渡したときが0だとすると(表1),それぞれの分け前に対する両者の効用(満足度)は図の点A,B,Cで表現できる。一方,統合的交渉では,両者の利害は対立しているがゼロ和構造ではない。つまり一方の利益がそのまま他方の損失とはならない。この構造が成り立つためには,争点が二つ以上あり,かつその争点に対する優先順位が双方で異なっている必要がある。姉妹が交渉を続けているうちに,姉は実だけを,妹は皮だけを必要としていたことがわかったとしよう(表2)。そのため姉は皮を,妹は実をいくらもらっても効用は0であるが,双方の満足度をともに2にする「実を姉に,皮を妹に」という統合的合意が可能となる。統合的交渉ではパイの大きさ自体が変動するため,「すべての争点で両者の主張の中間を取る」という妥協案(図のBに相当)より双方の効用をともに高める解決策(図のC-Aに相当)が存在しうる。

【交渉方略】 交渉者が取る方略は,主張,譲歩,妥協,問題解決,無行動のいずれかに当てはまる。主張は自己利益にかなうように資源を要求することであり,脅しや説得,要求への固執が含まれる。譲歩は相手の利益のために自分の要求を一方的に下げることである。妥協は自他の利害への関心が中程度のときに生じやすく,双方の譲歩により歩み寄ることである。問題解決は両者の利害の統合をめざす方略で,争点の優先順位に関する率直な情報交換やログローリングlogrolling(双方に有益な交換取引のことで,優先順位の低い争点については自分が譲歩し,優先順位の高い争点では相手に譲歩してもらう方略)が含まれる。争点に対する相手の優先順位が不明のときは,段階的譲歩の形成が有効となりうる。これは交渉初期に自分に最も有利な提案を行ない,その後,相手が受容するまで段階的に提案を下げていく方略である。無行動には意思決定の回避や交渉からの撤退がある。撤退の表明は相手のさらなる譲歩を引き出すために戦略的に用いられることもある。

【交渉者の認知】 交渉は,双方にとって望ましい解決策を発見しやすい葛藤解決手続きである一方,複雑な意思決定を迫られる状況でもあるため,その情報処理は偏りやすい。こうした認知バイアスは統合的合意の達成をしばしば阻害する。たとえば,交渉状況を正負の枠組みでとらえる。正の枠組みをもつ交渉ペアは,負の枠組みをもつ交渉ペアより,譲歩し合意に到達しやすいが,合意を優先するあまり自分に不利な提案も受容しやすくなる。また交渉開始後の最初の提案は係留効果をもたらし,それを行なった交渉者に有利な結果をもたらす。より対人的なバイアスとして,分配的交渉において交渉者はパイの大きさを実際より過小評価するとともに,その大半を得たと過大評価する傾向や,統合的交渉状況でありながらパイの固定した分配的状況だと知覚してしまう固定和幻想fixed-pie assumptionなどがある。

【交渉者の感情】 利害対立はしばしば怒りや失望,悲しみといった強い感情を喚起させる。こうした感情は,それを経験した交渉者の情報処理や行動に影響するとともに(個人内効果),その感情を表出された側の行動にも影響する(対人効果)。気分一致効果からも示唆されるように,怒りや憂うつといったネガティブな感情は主張的行動を促進し,統合的合意の達成を困難にする一方,ポジティブな気分は協力的な問題解決方略,譲歩行動,統合的な合意を導きやすい。感情表出の対人効果に関しては,怒りの検討が進んでいる。一方の当事者の怒り表出は,感情表出がない時より,他方の要求を小さくし,譲歩を引き出しやすい。ただし怒り表出の利点は,被表出者に精緻な情報処理を行なう動機づけがない時や時間的圧力がある時には失われる。対照的に,怒り感情の表出は,相手の怒りを喚起し,円滑な交渉を困難にすることもある。この矛盾は怒りが向けられる対象を区別することで解釈できる。一方の怒りが,他方の交渉者当人に向けられた時には競争的な反応が,その提案に向けられた時には譲歩が生じやすい。

 感情表出と認知の関連も検討され始めている。一方の怒り表出が,他方にとって重要度の高い争点で示されたときより,重要度の低い争点で示されたときに,被表出者の固定和幻想が低減し,双方の利害を統合しようとする行動が促進される。自分にとって重要度の低い争点で相手が怒りを示すことは,その争点が相手にとって重要であるとともに,双方の利害が完全には対立しないことを意味し,統合的合意が可能であることを示唆するからだと考えられる。

 また近年では,交渉スキルを高めるために,怒りやうれしさといった感情表出の戦略的な使用をめざす技能訓練も注目されている。

【集団間交渉】 集団間の交渉においては,個人間の交渉とは別の要因を考慮する必要がある。交渉者双方が異なる集団の代表である時には,双方とも同一集団の成員とみなされている時より,交渉は競争的になりやすい。一つには自集団を好意的に評価する内集団バイアスが強まるためと考えられる。外集団成員との交渉が予期されるだけで,当事者は交渉により獲得される利益が,内集団相手の時より低くなると予想するとともに,相手の誠実さや好ましさといった属性を低く評価する。ただし,外集団成員との交渉で合意に到達することは,内集団バイアスを低め,外集団との関係を改善する。集団間の利害対立は個人間のそれに比べて双方の価値観や信条の違いを過大視させる傾向はあるものの,双方が上位集団の成員同士であることを意識できれば集団間協力は高まる。 →意思決定 →葛藤 →問題解決
〔福野 光輝〕

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