今井幾三郎(読み)イマイ イクサブロウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「今井幾三郎」の解説

今井 幾三郎(2代目)
イマイ イクサブロウ


職業
能楽師(金剛流シテ方)

肩書
金剛会理事長

本名
今井 弥三(イマイ ヤゾウ)

生年月日
大正2年 5月24日

出生地
京都府

経歴
幼い頃から父・幾三の手ほどきを受け、大正9年独吟「鐘ノ段」で初舞台。昭和2年初代金剛巌に入門、同年初シテ方の「春栄」をつとめる。9年幾三郎を襲名。金剛巌に重用されてそのツレ役をほとんどつとめた。29年「道成寺」、43年「姨捨」を披露。金剛会理事長、日本能楽会理事を務めて、実務運営面でも手腕を発揮し、稀曲上演など新しい企画を発案・実行した。また文筆にもたけ、雑誌「金剛」の編集長として健筆をふるった。

所属団体
日本能楽会

没年月日
昭和55年 9月26日 (1980年)

家族
長男=今井 清隆(能楽師・金剛流シテ方)


今井 幾三郎(初代)
イマイ イクサブロウ


職業
能楽師(金剛流)

生年月日
天保7年

出身地
大坂(大阪府)

経歴
今井勘五郎に師事名声を得て、はじめ阿波藩に召し抱えられる。その後大阪に住んで謡曲教授門人育成に専念し、金剛流発展に寄与晩年は金剛流の老巧者として重きをなした。

没年月日
明治41年 7月15日 (1908年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「今井幾三郎」の解説

今井 幾三郎
イマイ イクサブロウ

大正・昭和期の能楽師(金剛流シテ方) 金剛会理事長。



生年
大正2(1913)年5月24日

没年
昭和55(1980)年9月26日

出生地
京都府

本名
今井 弥三(イマイ ヤゾウ)

経歴
幼い頃から父・幾三の手ほどきを受け、大正9年独吟「鐘ノ段」で初舞台。昭和2年初代金剛巌に入門、同年初シテ方の「春栄」をつとめる。9年幾三郎を襲名。金剛巌に重用されてそのツレ役をほとんどつとめた。29年「道成寺」、43年「姨捨」を披露。金剛会理事長、日本能楽会理事を務めて、実務運営面でも手腕を発揮し、稀曲上演など新しい企画を発案・実行した。また文筆にもたけ、雑誌「金剛」の編集長として健筆をふるった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「今井幾三郎」の解説

今井幾三郎 いまい-いくさぶろう

1836-1908 幕末-明治時代の能楽師シテ方。
天保(てんぽう)7年生まれ。金剛流。はじめ阿波(あわ)徳島藩につかえていたが,維新後,大阪にすみ,門人に謡曲をおしえた。晩年は流派の老巧者としておもんじられた。明治41年7月15日死去。73歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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