コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

金剛流 こんごうりゅう

6件 の用語解説(金剛流の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

金剛流
こんごうりゅう

能の流派。シテ方。大和猿楽四座の1つ。大和猿楽坂戸座が起源。鎌倉時代法隆寺に仕えた呪師 (じゅし) 猿楽の座であったという。流祖を坂戸氏勝とし,6世善岳正明以後,金剛を称す。7世氏正 (1507~76) は鼻金剛といわれた名手で豊臣秀吉に仕えた。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

こんごう‐りゅう〔コンガウリウ〕【金剛流】

能のシテ方の流派の一。大和猿楽坂戸座の流れで、幕末までは金剛座といった。室町時代坂戸孫太郎氏勝を流祖とする。現在は京都に本拠をもつ。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

金剛流【こんごうりゅう】

能のシテ方五流の一つ。南北朝の坂戸座の末流。鎌倉時代には法隆寺に属していたという。8世金剛氏正(鼻金剛)を中興の祖とする。坂戸金剛家は23世金剛右京〔1872-1936〕の遺言によって絶えたが,金剛巌が新たに流儀を興した。
→関連項目綾鼓喜多流下掛り大和猿楽

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

こんごうりゅう【金剛流】

能のシテ方の流派名。坂戸郷と呼ばれた奈良県生駒郡平群(へぐり)町付近を本拠地として法隆寺に奉仕した坂戸座(鎌倉時代から記録所見)が源流らしく,室町初期には春日興福寺に勤仕する大和猿楽四座の一つとなった。1721年(享保6)に幕府へ提出した書上(かきあげ)および家元の系図では,足利義満時代の坂戸孫太郎氏勝(1280‐1348)を流祖とし,金剛三郎正明(1449‐1529)から金剛姓とするが,確実なことはわからない。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

こんごうりゅう【金剛流】

能のシテ方五流の一。孫太郎氏勝を流祖とする。金剛氏正(1507~1576)が中興。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

金剛流
こんごうりゅう

能の一流派。シテ方五流の一つ。南北朝ごろ大和猿楽(やまとさるがく)の一座として興福寺に属していた坂戸座(さかとざ)の後の名。坂戸座は奈良県生駒(いこま)郡三郷(さんごう)村坂戸に座があったのでこの名があり、鎌倉時代は法隆寺に属した呪師(じゅし)猿楽の座といわれる。14世紀初めの坂戸氏勝(うじかつ)を流祖というが、明らかでない。氏勝から数えて6世の善岳正明(ぜんがくまさあき)のとき、姓を金剛と改めた。中興の祖は鼻金剛とよばれた8世金剛氏正で、豊臣(とよとみ)秀吉から金剛座800石の朱印を得ている。江戸時代は徳川幕府に仕えた。のち喜多流をおこした喜多七大夫(しちたゆう)が一時金剛大夫を継いだ時期もあり、能面「孫次郎」の創作者と伝えられる右京頼勝(よりかつ)や、「脚疾(あしばや)又兵衛」とあだ名された名手の又兵衛長頼(ながより)らが名高い。明治維新後は、氏成(うじしげ)(唯一)・泰一郎父子が東京・麻布の能舞台を中心に能楽復興の先駆をなしたが、移転、焼失などの不幸が重なった。泰一郎の子、23世金剛右京氏慧(うじやす)は独自の鮮やかな技(わざ)と故実に明るい見識で名声が高かったが、不遇であった。そして遺言により1936年(昭和11)彼の死をもって坂戸金剛家は断絶した。
 しかし他の四流宗家の斡旋(あっせん)もあって、同年中に、弟子家である京都金剛家の金剛巌(いわお)(初世)が、坂戸金剛とは別に金剛宗家をたてた。本来野村姓の禁中出入りの能役者の家柄で、2世巌(初世の三男)の曽祖父(そうそふ)の禎之助(ていのすけ)の代から金剛姓を許されている。流儀の芸風は俗に「舞(まい)金剛」といわれる型の鮮やかさに、京都風の優美さを加えている。写実味が強く、早技(はやわざ)を得意とする。京都の金剛能楽堂(常用されている能舞台ではもっとも古い)を拠点に、宗家父子を中心に豊島(てしま)、種田、今井、広田の各家が活躍し、東京には金剛右京の弟子である故奥野達也(たつや)の後継者たちがいる。機関誌『金剛』をもつ。[増田正造]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の金剛流の言及

【能】より

… 南北朝時代には,諸国の猿楽座の中で大和猿楽近江猿楽が際立つ存在だった。大和猿楽の中心は興福寺支配の4座,すなわち円満井(えんまい),坂戸,外山(とび),結崎(ゆうざき)の座で,これが後に金春(こんぱる)座(金春流),金剛座(金剛流),宝生座(宝生流),観世座(観世流)と呼ばれるようになる。結崎座を率いる観世という名の役者(後の観阿弥)は,技芸抜群のうえくふうに富み,将軍足利義満の愛顧を得て京都に進出し,座勢を大いに伸ばした。…

【大和猿楽】より

…秀吉は宇治猿楽や丹波猿楽の役者を大和猿楽四座にツレ囃子方として所属させたため,それらの諸座は解体の運命をたどり,結果的に大和猿楽のみが命脈を保つこととなったが,江戸幕府も秀吉の政策を継承し,四座の役者に知行・扶持・配当米を与えて保護した。この四座に江戸初期に一流樹立が認められた喜多流を加えた四座一流が幕府保護の猿楽で,それが今日の五流(観世流宝生流金春流金剛流,喜多流)のもととなった。【天野 文雄】。…

※「金剛流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

金剛流の関連キーワード観世流喜多流金春流宝生流異派五流鶴賀上掛りパラダイス/楽園と呼ばれた星加藤大岳

今日のキーワード

カルテット

四重唱および四重奏。重唱,重奏の形態のなかで最も基本的なもので,声楽ではルネサンスの多声歌曲の形式であるシャンソンやフロットラから始り長い歴史をもつ。器楽も同様で,特に弦楽四重奏は室内楽の全レパートリ...

続きを読む

コトバンク for iPhone

金剛流の関連情報