デジタル大辞泉
「金剛巌」の意味・読み・例文・類語
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金剛 巌(2代目)
コンゴウ イワオ
- 職業
- 能楽師(金剛流シテ方)
- 肩書
- 金剛流宗家(25代目),金剛会主宰
- 本名
- 金剛 滋夫
- 生年月日
- 大正13年 12月23日
- 出生地
- 京都府 京都市室町
- 学歴
- 龍谷大学予科〔昭和20年〕卒
- 経歴
- 能のシテ方五流の一つ金剛流宗家の初世巌の三男として生まれる。昭和6年「国栖」の子方で初舞台。26歳のとき先代が亡くなり、宗家を継ぐ。京都能楽会長、日本能楽会理事も務めた。59年7月イタリア公演が実現、バチカンではローマ法王ヨハネ・パウロ2世の避暑宮殿の庭園で薪能形式で「羽衣」を演じた。海外で薪能が演じられたのは初めて。没後の平成12年舞台写真集「我忘吾」が刊行される。
- 所属団体
- 能楽協会,日本能楽会,京都能楽会
- 受賞
- 日本芸術院賞(平6年度)〔平成7年〕「能楽界に尽くした業績」 紫綬褒章〔平成3年〕 大阪府民劇場奨励賞〔昭和27年〕,芸術祭賞(能楽部門奨励賞)〔昭和29年〕,大阪市民文化祭賞(芸術賞)〔昭和36年〕,京都新聞文化賞〔昭和53年〕,京都府文化賞(功労賞 第1回)〔昭和58年〕,京都市文化功労者〔昭和59年〕
- 没年月日
- 平成10年 8月1日 (1998年)
- 家族
- 父=金剛 巌(初代),長男=金剛 永謹(金剛流シテ方)
金剛 巌(初代)
コンゴウ イワオ
- 職業
- 能楽師
- 肩書
- 金剛流シテ方宗家
- 別名
- 前名=野村 岩雄
- 生年月日
- 明治19年 3月25日
- 出生地
- 京都
- 経歴
- 金剛謹之輔の長男で、金剛右京亡き後、坂戸金剛は絶家となっていたが、観世、金春、宝生、喜多宗家の推薦で金剛流宗家を継いだ。生涯「道成寺」を60回近く演じ、華麗な能舞台を務めた。戦後、ステージの黒バックに照明を用いるなど新しい様式を試みた。能面、能装束の収集も有名で、7月末、金剛能楽堂で行う面や装束の虫干しを公開した。著書に「能と能面」など。
- 没年月日
- 昭和26年 3月21日 (1951年)
- 家族
- 父=金剛 謹之助,三男=金剛 巌(2代目)
- 伝記
- 能・歌舞伎役者たち 塚本 康彦 著(発行元 朝日新聞社 ’94発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
金剛巌
こんごういわお
能のシテ方、金剛流宗家。
[増田正造]
(1886―1951)明治の京阪能楽界に君臨した名人の金剛謹之輔(きんのすけ)(1854―1923)の長男として京都で生まれる。京都の金剛家は本来野村姓で、禁裏御用の能役者の家柄。23世金剛右京の遺言により、1936年(昭和11)宗家は断絶したが、同年他の四流宗家の推薦により、金剛巌が坂戸金剛とは別の金剛流をたて初代宗家となった。上方(かみがた)風の優艶(ゆうえん)さに闊達(かったつ)さを加えた芸風。能面や能装束の研究でも名高く、照明を用いた新様式能なども試みた。著書に『能楽古面大観』『能と能面』ほか。
[増田正造]
(1924―98)初世の三男。前名滋夫(しげお)。品格ある優美な芸風。長男の永謹(ひさのり)(1951― )らと京都で金剛会を主宰した。1994年度(平成6)日本芸術院賞受賞。
[増田正造]
『金剛巌監修『金剛家秘宝・幽玄の美』(1982・淡交社)』
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金剛 巌(2代目)
コンゴウ イワオ
昭和・平成期の能楽師(金剛流シテ方) 金剛流宗家(25代目);金剛会主宰。
- 生年
- 大正13(1924)年12月23日
- 没年
- 平成10(1998)年8月1日
- 出生地
- 京都府京都市室町
- 本名
- 金剛 滋夫
- 学歴〔年〕
- 龍谷大学予科〔昭和20年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 大阪府民劇場奨励賞〔昭和27年〕,芸術祭賞(能楽部門奨励賞)〔昭和29年〕,大阪市民文化祭賞(芸術賞)〔昭和36年〕,京都新聞文化賞〔昭和53年〕,京都府文化賞(功労賞 第1回)〔昭和58年〕,京都市文化功労者〔昭和59年〕,紫綬褒章〔平成3年〕,日本芸術院賞(平6年度)〔平成7年〕「能楽界に尽くした業績」
- 経歴
- 能のシテ方五流の一つ金剛流宗家の初世巌の三男として生まれる。昭和6年「国栖」の子方で初舞台。26歳のとき先代が亡くなり、宗家を継ぐ。京都能楽会長、日本能楽会理事も務めた。59年7月イタリア公演が実現、バチカンではローマ法王ヨハネ・パウロ2世の避暑宮殿の庭園で薪能形式で「羽衣」を演じた。海外で薪能が演じられたのは初めて。没後の平成12年舞台写真集「我忘吾」が刊行される。
金剛 巌(1代目)
コンゴウ イワオ
明治〜昭和期の能楽師 金剛流シテ方宗家。
- 生年
- 明治19(1886)年3月25日
- 没年
- 昭和26(1951)年3月21日
- 出生地
- 京都
- 別名
- 前名=野村 岩雄
- 経歴
- 金剛謹之輔の長男で、金剛右京亡き後、坂戸金剛は絶家となっていたが、観世、金春、宝生、喜多宗家の推薦で金剛流宗家を継いだ。生涯「道成寺」を60回近く演じ、華麗な能舞台を務めた。戦後、ステージの黒バックに照明を用いるなど新しい様式を試みた。能面、能装束の収集も有名で、7月末、金剛能楽堂で行う面や装束の虫干しを公開した。著書に「能と能面」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
金剛巌(2世)
こんごういわお[にせい]
[生]1924.12.23. 京都,京都
[没]1998.8.1. 京都,京都
金剛流,シテ方の能楽師。金剛流 2世宗家。本名滋夫。初世金剛巌の三男。父に師事。1931年『国栖(くず)』の子方で初舞台。1938年『舎利』で初シテ。1947年『道成寺』,1964年『卒都婆小町』,1984年『姨捨』を初演。稀曲『泰山府君』『落葉』『彭祖』,番外曲『碁』『鈿女(うずめ)』などを復曲上演。『雪』のシテで 1954年度芸術祭賞奨励賞。1991年紫綬褒章。1995年日本芸術院賞。金剛会を主宰。異流の金春流宗家,金春信高と協力して二人会を定期的に催した。金剛能楽堂財団理事長。長男は 3世宗家の金剛永謹(こんごうひさのり)。(→能)
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金剛巌【こんごういわお】
能楽師。シテ方金剛流宗家。初世〔1886-1951〕は本名岩雄。金剛謹之輔の次男。23世金剛右京の没後,観世・金春・宝生・喜多宗家の推薦を受けて,新たに金剛家を興した。もと宮中御用の能役者の家柄(旧野村姓)で,坂戸金剛家の分家に当たる。上方風の優艶な芸風。能面,能装束の収集・研究でも名高い。2世〔1924-1998〕はその三男。
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金剛巌(初代) こんごう-いわお
1886-1951 明治-昭和時代の能楽師シテ方。
明治19年3月25日生まれ。金剛流の金剛謹之輔の長男。父に師事し,明治23年初舞台。昭和11年金剛右京の没後,観世(かんぜ)など他のシテ方4流の推挙をうけ,12年新宗家初代となる。生涯に60回ちかく「道成寺」を演じるとともに,戦後新様式の能をこころみた。昭和26年3月21日死去。64歳。京都出身。本名は岩雄。著作に「能と能面」。
金剛巌(2代) こんごう-いわお
1924-1998 昭和-平成時代の能楽師シテ方。
大正13年12月23日生まれ。初代金剛巌の3男。金剛流宗家初代の父に師事し,昭和6年「国栖(くず)」の子方で初舞台。26年父の死去により宗家をつぐ。59年イタリア公演で海外初の薪能(たきぎのう)を演じる。平成7年芸術院賞。京都能楽会会長をつとめた。平成10年8月1日死去。73歳。京都出身。竜谷大予科卒。本名は滋夫。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
金剛 巌(2代目) (こんごう いわお)
生年月日:1924年12月23日
昭和時代;平成時代の能楽師シテ方。京都能楽会会長
1998年没
金剛 巌(初代) (こんごう いわお)
生年月日:1886年3月25日
明治時代-昭和時代の能楽師シテ方
1951年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の金剛巌の言及
【金剛流】より
…能のシテ方の流派名。坂戸郷と呼ばれた奈良県生駒郡平群(へぐり)町付近を本拠地として法隆寺に奉仕した坂戸座(鎌倉時代から記録所見)が源流らしく,室町初期には春日興福寺に勤仕する[大和猿楽]四座の一つとなった。1721年(享保6)に幕府へ提出した書上(かきあげ)および家元の系図では,足利義満時代の坂戸孫太郎氏勝(1280‐1348)を流祖とし,金剛三郎正明(1449‐1529)から金剛姓とするが,確実なことはわからない。…
※「金剛巌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」