能の曲目。三番目物。五流現行曲。ただし金春(こんぱる)流は昭和の復曲。金春、喜多流は「伯母捨」と表記する。世阿弥(ぜあみ)作。都の男(ワキ)が仲秋(ちゅうしゅう)の名月にあこがれて信濃(しなの)国(長野県)の姨捨山に登ると、寂しげな中年の女(前シテ。老女の扮装(ふんそう)にする場合もある)が現れ、昔捨てられた老女が「わが心なぐさめかねつ更科(さらしな)や姨捨山に照る月を見て」と詠んだ旧跡だと語り、自分がその本人であり、月の出とともにふたたびと告げて消える。月が澄み渡ると白衣の老女(後シテ)が現れ、月をめでつつ月にちなむ仏説を語り、静かに舞い興じる。夜が明け旅人が去ると、老女はまた寂しく山に残される。老女の霊が捨てられた悲しみも孤独な死のむごさもあらわには再現せず、むしろ月の精のような澄み切った美しい存在に昇華されているところに能の主張がある。棄老伝説の残酷さは間狂言(あいきょうげん)の里人の物語に集約されている(嫁のそそのかしで、男が親同様に養われた盲目の伯母を山に捨てた話)。『関寺小町(せきでらこまち)』『檜垣(ひがき)』に次ぐ最奥の能として、三老女とよばれている。年齢、芸劫(げいこう)に優れないと上演できない曲である。なお、同じ棄老をテーマとする深沢七郎作の『楢山節考(ならやまぶしこう)』を、新作狂言として野村万作ほかが上演したことがある。
[増田正造]
能の曲名。流派により〈伯母捨〉と書く。三番目物。老女物。世阿弥時代からある能。作者不明。シテは老女の霊。旅人(ワキ)が信濃の姨捨山に赴くと,中年の女に声を掛けられる。女は,ここは昔老女が捨てられた所だと教え,自分は実はその老女の霊だと明かして消え失せる。夜になると,澄みわたる満月の光に照らされて,白髪の老女が姿を現す。老女は,月天子(がつてんし)は勢至菩薩と同体で阿弥陀如来の脇侍であると説き,極楽の有様を描き(〈クセ〉),昔を懐かしんで舞を舞うが(〈序ノ舞〉),旅人が帰ったあとも,昔のようにひとり取り残されて立ち尽くす。クセ・序ノ舞が中心。姨捨伝説よりも月の賛美に力が注がれている感じで,清澄閑寂な趣に終始する。
執筆者:横道 万里雄
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…各地の姨捨(うばすて)伝説に取材して,老人は70歳になると捨てられるという習慣のある信州の村の物語として書かれた深沢七郎(1914‐87)の小説(1956)。中央公論新人賞当選作のこの小説で深沢は文壇に登場,土俗の闇にひそむ人間感情をえぐりだす特異な作風で注目された。…
※「姨捨」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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