日本歴史地名大系 「今在家町」の解説
今在家町
いまざいけちよう
今在家町
いまざいけちよう
近世には西宮町の町方一五町の一であったが(天保九年「西宮町石高町数等書上」岡本家文書)、町支配の田地も近隣に多かったようで、寛文九年(一六六九)頃の尼崎藩青山氏領地調(加藤家文書)によると本田高一九八石余があり、延享三年(一七四六)の書上(吉井家文書)には、本田一八五石余・新田二石余とある。
今在家町
いまざいけちよう
今在家町
いまざいけちよう
京街道に沿い佐保川石橋の南北にあり、
今在家郷は永仁二年(一二九四)の大仏灯油料田記録に「本地子一斗五升 作権次郎 今在家 檜升 他所公事無之 在河上御庄内」とあり、中世の東大寺七郷の一である。正長元年(一四二八)・天文八年(一五三九)の転害会記(東大寺文書)によると、今在家郷に「ヌシ屋」「エヒス屋」「鍛冶屋」の屋号がみえる。「大乗院雑事記」寛正六年(一四六五)七月一一日条に「今在家橋事破損之間、御下向以前可修造旨、申送東大寺、万一令無沙汰者、為当寺渡此橋、今在家事可自専厳密ニ申送云々」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報