日本大百科全書(ニッポニカ) 「今帰仁城」の意味・わかりやすい解説
今帰仁城
なきじんじょう
沖縄県国頭郡(くにがみぐん)今帰仁村今泊にある城跡。別名北山城(ほくざんじょう)ともいう。沖縄に山北(さんほく)(北山)、中山(ちゅうざん)、山南(南山)という三つの小国家が鼎立(ていりつ)していた三山時代(14世紀初~15世紀初)、山北の主城として繁栄したが、1416年(応永23)(一説では1422年)中山の尚巴志(しょうはし)により滅ぼされた。その後、治安維持の目的で山北監守(今帰仁按司(あんじ))が設置され、沖縄本島北部地方の統治拠点となった。1609年(慶長14)琉球(りゅうきゅう)王国に侵略した薩摩(さつま)軍の攻撃を受けて落城、時の今帰仁按司も戦死した。戦後、山北監守が城内から別地(今帰仁村)に移動したため、城としての機能は失われた。城壁が比較的よく保存されており、沖縄石造建築の粋をみることができる。長期にわたる発掘調査が開始され、当時の文化状況を示す重要な発見がもたらされ始めている。国指定史跡(1972)。2000年(平成12)琉球地方の独特な文化遺産を対象に「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」が世界遺産の文化遺産に登録されており、登録遺産群9か所のうちの一つに含まれている(世界文化遺産)。1月には満開になる南国沖縄の桜の名所としても有名。
[高良倉吉]