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他戸親王 おさべしんのう

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

他戸親王 おさべしんのう

761-775 奈良時代,光仁(こうにん)天皇の第4皇子。
天平宝字(てんぴょうほうじ)5年生まれ。母は井上内親王。宝亀(ほうき)2年11歳で皇太子となる。3年母の厭魅(えんみ)(のろい殺すこと)大逆事件に連座して,皇太子を廃された。4年母とともに大和(奈良県)宇智郡に幽閉され,宝亀6年4月27日母と同日に没した。15歳。藤原百川(ももかわ)に毒殺されたといわれる。

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朝日日本歴史人物事典の解説

他戸親王

没年:宝亀6.4.27(775.5.30)
生年:天平宝字5(761)
奈良時代末の皇族。光仁天皇と井上内親王の子。皇位継承をめぐる争いにまきこまれて没した。宝亀3(772)年5月,母親が大逆罪で廃されたため,皇太子であった他戸親王も廃され,皇族の身分を取り消され庶民とされて大和国宇智郡(五条市)に幽閉された。時に12歳。前年,皇太子となり皇位継承者となったが,皇位継承者として山部親王(のちの桓武天皇)を推す勢力との対抗のなかで,母と共に失脚したものらしい。幽閉先で母と共に没した。4年後の宝亀10年6月,周防国(山口県)で 凡直 葦原賤男公が他戸皇子と称し,百姓を惑わせ,伊豆に配流されるという事件が起こっている。

(鬼頭清明)

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世界大百科事典 第2版の解説

おさべしんのう【他戸親王】

?‐775(宝亀6)
光仁天皇の皇子。母は皇后で聖武天皇の皇女井上(いかみ)内親王。生年は761年(天平宝字5)と751年(天平勝宝3)の2説がある。771年(宝亀2)皇太子に立てられたが,翌年3月裳咋(もくい)足島の自首により井上内親王が巫蠱(ふこ)大逆の罪で廃されたのに連座し,5月皇太子を廃し庶人とされた。皇太子のとき暴逆で,山部親王(後の桓武天皇)と悪く,山部親王に忠実な槻本老を母子ともに切責したが,老に姧状をあばかれ,廃太子に至ったという。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

他戸親王
おさべしんのう
(761―775)

光仁(こうにん)天皇の第4皇子。母は聖武(しょうむ)天皇の皇女井上(いのえ)内親王。光仁天皇の即位により771年(宝亀2)正月皇太子となったが、翌年母井上内親王が天皇を呪殺(じゅさつ)しようとしたという厭魅(えんみ)大逆の事に坐(ざ)し皇太子を廃された。773年天皇の姉難波(なにわ)内親王が没したのは、井上内親王の厭魅によるものとされ、井上内親王とともに大和(やまと)宇智(うち)郡に幽閉、宝亀(ほうき)6年4月27日母と同時に没した。毒殺説が有力。墓は奈良県五条市、母内親王陵の北にある。[中川 収]
『角田文衛著『律令国家の展開』(1965・塙書房)』

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世界大百科事典内の他戸親王の言及

【桓武天皇】より

…父は天智天皇の孫,施基(しき)皇子の子で白壁(しらかべ)王といい,天武系皇統の世に官人として仕え,大納言に昇ったが,770年(宝亀1)称徳天皇が没したとき,62歳で皇位を継承した。光仁天皇には皇后井上(いかみ)内親王との子とする他戸(おさべ)親王があり,これが皇太子に立てられた。渡来人系の卑母から生まれた山部王は親王として中務卿となっていたが,772年井上皇后と他戸皇太子が位を追われ,非業の死をとげる事件が起こり,代わって山部親王が37歳で皇太子に立てられ,781年(天応1)即位した。…

※「他戸親王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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