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藤原百川 ふじわらのももかわ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

藤原百川
ふじわらのももかわ

[生]天平4(732).奈良
[没]宝亀10(779).7.9. 奈良
奈良時代末期の廷臣。藤原式家の祖宇合の8男。天平宝字3 (759) 年従五位下神護景雲3 (769) 年従四位上,翌年8月称徳天皇皇太子を立てないまま没すると,左大臣藤原永手,内臣 (うちつおみ) 良継らとともに群臣の異議を排して白壁王を皇太子に立てて光仁天皇とした。

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デジタル大辞泉の解説

ふじわら‐の‐ももかわ〔ふぢはら‐ももかは〕【藤原百川】

[732~779]奈良後期の公卿。宇合(うまかい)の子。初名、雄田麻呂。称徳天皇の没後、光仁天皇を擁立して道鏡を追放し、山部親王桓武天皇)の立太子を実現するなど、藤原氏発展のもとをつくった。

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百科事典マイペディアの解説

藤原百川【ふじわらのももかわ】

奈良後期の官人。藤原宇合(うまかい)の子。称徳天皇没後の皇位をめぐり,藤原永手(ながて)らとはかって光仁天皇即位を実現させた。また他戸(おさべ)皇太子を廃し,山部親王(桓武天皇)を皇太子とした。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原百川 ふじわらの-ももかわ

732-779 奈良時代の公卿(くぎょう)。
天平(てんぴょう)4年生まれ。式家藤原宇合(うまかい)の8男。母は久米若売(くめの-わかめ)。称徳天皇の没後,藤原永手らと白壁王(光仁(こうにん)天皇)を擁立。宝亀(ほうき)2年参議,5年従三位となる。山部親王(桓武(かんむ)天皇)の立太子にも尽力した。宝亀10年7月9日死去。48歳。淳和(じゅんな)天皇の外祖父として正一位,太政大臣を追贈された。初名は雄田麻呂。

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朝日日本歴史人物事典の解説

藤原百川

没年:宝亀10.7.9(779.8.24)
生年:天平4(732)
奈良時代の官人。宇合の8男。母は久米連奈保麻呂の娘若女。もと雄田麻呂と称し,宝亀2(771)年以降百川と改めた。天平宝字3(759)年従五位下に叙せられる。以後,智部少輔,山陽道巡察使,左中弁,武蔵守,中務大輔,内豎大輔などを歴任した。山陽道巡察使のとき,神護景雲2(768)年上奏して,民を苦しめる伝馬による迎送を駅馬に改め,また長門国(山口県)の一部では調銅を綿で代輸するなど,民政に尽力した様子が知られる。いわゆる道鏡皇位事件(769)で和気清麻呂が配流されると,百川は備後国の封郷20戸を割いて,配所に送ったといい,道鏡に反発を抱いていたようである。道鏡がその郷里河内国若江郡弓削郷に由義宮(西京とも。八尾市か)を造営すると,河内守・河内大夫となり,道鏡政権を支えるかにみえたが,宝亀1(770)年称徳天皇が病気になると,看病の尼を追い返し,天皇崩御の原因をなした。天皇崩御後,右大臣吉備真備の推す文室浄三に対して,左大臣藤原永手,内大臣藤原良継らと共に白壁王(のちの光仁天皇)を支持し,百川が宣命の語を偽作して,白壁王即位が実現したという。宝亀2年参議となり,政治の中枢に参画し,中衛大将,式部卿も兼ねた。さらに山部親王(のちの桓武天皇)の立太子を画策し,皇太子他戸皇子廃嫡にも活躍したといわれ,平安初期の式家台頭の基礎を築いた人物である。桓武天皇の後宮に娘の旅子が入り,甥の種継,子の緒嗣らは天皇に寵愛された。桓武天皇即位後,立太子実現への奔走を賞してか,右大臣を追贈され,山城国相楽郡に墓地を賜っている。<参考文献>中川収『奈良朝政治史の研究』

(森公章)

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世界大百科事典 第2版の解説

ふじわらのももかわ【藤原百川】

732‐779(天平4‐宝亀10)
奈良後期の官人。もと雄田麻呂(おだまろ)という。宇合(うまかい)の第8子で,母は久米若女。藤原諸姉(良継の女)はその妻。緒嗣,旅子(桓武天皇夫人,淳和天皇母),継業,帯子(平城天皇妃)の父。《日本紀略》宝亀1年(770)8月条にひく〈百川伝〉によると,同年の称徳女帝の没後,皇太子の決定にあたって右大臣吉備真備は天武天皇の血脈をひく文室浄三(ふんやのきよみ)を強く推した。百川は左大臣藤原永手,参議藤原良継らとはかってこれに反対し,宣命の語を偽作して白壁王の立太子を強行した。

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大辞林 第三版の解説

ふじわらのももかわ【藤原百川】

732~779) 奈良末期の廷臣。参議。宇合うまかいの第八子。初名、雄田麻呂。770年、称徳天皇が没すると道鏡を追放して光仁天皇を擁立、773年山部親王(桓武天皇)を皇太子に立て、政権を藤原氏の手に掌握した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

藤原百川
ふじわらのももかわ
(732―779)

奈良時代の政治家。式家宇合(うまかい)の第8子で母は久米若女(くめのわかめ)。初め雄田麻呂(おだまろ)と称し、藤原仲麻呂の乱(764)で兄良継(よしつぐ)、弟蔵下麻呂(くらじまろ)が大活躍したことから道鏡らとのつながりを深めたらしく、769年(神護景雲3)に内竪卿弓削清人(ないじゅきょうゆげのきよんど)のもとで内竪大輔(たいふ)となり、同年由義宮(ゆげのみや)ができ河内(かわち)国が河内職と改められたとき河内大夫(たいふ)となったが、称徳(しょうとく)天皇崩御後は天武(てんむ)系の天皇を推した吉備真備(きびのまきび)らに反対して、天智(てんじ)系の光仁(こうにん)天皇をたてた際の中心人物の1人であったらしい。光仁即位後は右大弁(うだいべん)を経て参議となり、死去したときも参議でありそれほどの昇進はなかったようであるが、天皇の信任厚く腹心として内外の機務にあずかり知らないことはなかったといわれる。また百川は早くから後の桓武(かんむ)天皇に期待し、種々の計略をめぐらして772年(宝亀3)、皇后(聖武(しょうむ)皇女井上(いのえ)内親王)と、天皇と皇后との間に生まれた皇太子他戸(おさべ)親王を廃し、翌年、後の桓武天皇を皇太子にたてたといわれる。そこで桓武天皇は即位後百川に従(じゅ)二位右大臣を贈り、その子緒嗣(おつぐ)を参議にしたとき「緒嗣の父がいなかったら天皇にはなれなかったろう」といったという。百川の女(むすめ)旅子(たびこ)は桓武天皇の夫人(ぶにん)となり、後の淳和(じゅんな)天皇を産んだので、淳和天皇即位後太政(だいじょう)大臣正一位が贈られた。[福井俊彦]
『横田健一著『道鏡』(1959・吉川弘文館) ▽村尾次郎著『桓武天皇』(1963・吉川弘文館) ▽平野邦雄著『和気清麻呂』(1964・吉川弘文館)』

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世界大百科事典内の藤原百川の言及

【井上内親王】より

…この死は他殺もしくは自殺の可能性が強く,没後早くから祟りを恐れ,墓を改葬し山陵とし,后位を追復し吉野皇太后と追称したり,神社や山陵に幣帛や読経の奉納が行われている。この事件は藤原百川が中心となり天智天皇系の光仁―桓武の皇位継承を確立するため,天武天皇系の井上―他戸を廃する陰謀とみる説が有力である。事件の異常さは皇后が現身に竜となって祟ったとして早くから伝えられ,《水鏡》は天皇と皇后が美男美女を賭けた双六に端を発し背後に百川の暗躍する怪奇な事件とし,百川は怨霊となった皇后に悩まされて死んだとする。…

【奈良時代】より

…宇佐八幡の神託を利用して皇位を窺窬(きゆ)し,和気清麻呂にその野望を絶たれたという宇佐八幡宮神託事件も,つまるところ仲麻呂の対皇室観に対抗して,その意識を一歩進めたものであった。しかし,770年(宝亀1)に称徳女帝が病死すると,独身であったために,ここで永らく続いた天武系の皇統が絶え,代わって藤原百川(ももかわ)らに擁立されて天智天皇の孫白壁王が皇太子となり,道鏡は下野薬師寺別当として追放され,彼地に没した。白壁王はやがて光仁天皇として即位し,百川らは政治の刷新を図った。…

【藤原氏】より

…日本の代表的な貴族。大化改新後の天智朝に中臣氏から出て,奈良時代には朝廷で最も有力な氏となり,平安時代に入るとそのなかの北家(ほくけ)が摂政や関白を独占し歴代天皇の外戚となって,平安時代の中期は藤原時代ともよばれるほどに繁栄した。鎌倉時代からはそれが近衛(このえ)家二条家一条家九条家鷹司(たかつかさ)家の五摂家に分かれたが,以後も近代初頭に至るまで,数多くの支流を含む一族全体が朝廷では圧倒的な地位を維持し続けた。…

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