もともとは,1年の決まった時に仮面,仮装の人が登場して踊り,豊作を祝福する季節的な儀礼のことである。ヨーロッパではマスカレードmasqueradeというが,これはマスクmasque(mask)(仮面)からきたとも,アラビア語のマスハラmaskhara(物笑いのたね)からきたともいう。15世紀のイタリアでは,この民俗的な素朴な祝祭から,華麗な演劇的スペクタクルをつくりだした。なかでもメディチ家は,大がかりな仕掛け,豪華なコスチュームを用い,また古典文学の教養をちりばめた台本による祭りをくりひろげた。とくにカーニバルの時に,人々は仮装して踊り狂った。イタリアの仮装舞踏会は,16~18世紀にかけて盛んで,フランスやイギリスにも伝わった。フランスには1533年,カトリーヌ・ド・メディシスがのちのアンリ2世と結婚した時にもたらされ,宮廷バレエ(バレエ・ド・クール)の起源となった。イギリスにはチューダー朝のヘンリー7世やヘンリー8世の時から祝祭が派手になり,イタリアの仮装舞踏会も入ってくる。エリザベス1世の時代にはページェントと呼ばれる市民的祝祭が最高潮に達し,仮装舞踏会はページェントに吸収されるが,やがて宮廷仮面劇(コート・マスク)という独自の形を生みだす。ページェントは市民的,野外的であるが,仮面劇は宮廷的,室内的である。17世紀の初めにはベン・ジョンソンなどの筋立てとイニゴ・ジョーンズの舞台装置によって,イギリス宮廷仮面劇は黄金時代を迎える。仮面劇には神話や伝説の神々や正義や貞節といった寓意(アレゴリー)をあらわす人物が登場して,歌や踊や芝居を演じ,王をたたえ,国の繁栄をことほぐ。しかし17世紀半ばのピューリタン革命によって,ぜいたくな宮廷仮面劇は下火になる。やがてマスク(仮面劇)から,演劇,バレエ,オペラなどが分化して,仮装舞踏会は宗教的・国民的行事としての意味を失い,社交界のエンターテインメントとなった。近代では1920年代にとくに流行し,パリやロンドンでは奇抜なアイデアのさまざまな仮装舞踏会が催された。約束ごとの失われた近代の仮装舞踏会は,英語ではコスチューム・ボールcostume ballまたはファンシー・ドレス・ボールfancy dress ballと呼ぶ。
日本にも神楽から佐賀県の面浮立(めんぶりゆう)などの民俗芸能にいたるまで,仮面,仮装の祭礼はあった。ヨーロッパの社交界の遊びとしてのファンシー・ドレス・ボールは,日本では鹿鳴館に始まり,1887年(明治20)4月,伊藤博文によって仮装舞踏会がここで開かれた。井上毅,大山巌,渋沢栄一といった明治の高官やその夫人たちが,歌舞伎風からアルルカンまで,和洋折衷の仮装をして踊ったといわれる。
→仮装 →仮面劇
執筆者:海野 弘
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
仮面をつけたり特異な扮装(ふんそう)をしたりして行う舞踏会。仮装パーティーともいう。古代の民俗的・宗教的祭礼の仮装や、古代ギリシア・ローマの俳優が仮面や動物の頭などをかぶって舞台に立ったことに始まった。15世紀にイタリアで栄え、1533年にアンリ王子(後のアンリ2世)と結婚したメディチ家のカトリーヌによりフランスに伝えられ、マスカラードmascaradeとよばれて宮廷バレエの萌芽(ほうが)となった。数人が組んで好みのダンスをしたが、のちには寓話(ぐうわ)や歴史物語によるバレエ風のダンスに変わった。日本では1887年(明治20)伊藤博文(ひろぶみ)が主催して首相官邸で行われたものが最初である。
[佐藤農人]
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