コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

伊東燕晋(初代) いとう えんしん

2件 の用語解説(伊東燕晋(初代)の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

伊東燕晋(初代) いとう-えんしん

1761-1841* 江戸時代後期の講釈師。
宝暦11年生まれ。伊東派の祖。江戸湯島天神境内の自宅で「曾我物語」などの軍談を講釈,湯島の燕晋とよばれた。文化3年将軍徳川家斉(いえなり)に「川中島軍記」を御前講演。翌年非人頭(がしら)車善七(くるま-ぜんしち)の支配を排除し,常設の高座の設置をゆるされた。天保(てんぽう)11年12月10日死去。80歳。江戸出身。通称は仙右衛門。号は詞筵(しえん)。編著に「撃攘余録」。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

伊東燕晋(初代)

没年:天保11.12.10(1841.1.2)
生年:宝暦11(1761)
江戸後期の江戸の講釈師伊東派の祖。通称仙右衛門。その住まいから湯島の燕晋と呼ばれた。すこぶる謹厳で常に羽織袴で演じ,内容も御家騒動物や世俗の講釈をせず,もっぱら「源平盛衰記」「川中島軍記」などの軍談に限られていた。博識で文才もあり,当時の出来事を書きとめた『撃攘余録』などの著作を残す。文化4(1807)年非人頭車善七らと争って,その支配を脱した。このときに従来の移動式高座(置台)を廃して常設とすることも許された。将軍家斉に愛され,たびたび御前講演をした。<参考文献>関根黙庵『講談落語今昔譚』(改題復刻『講談落語考』1960)

(吉沢英明)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

伊東燕晋(初代)の関連キーワード阪井虎山空板講釈師赤松梅竜石川一夢伊東燕凌(2代)神田伯竜(初代)乾坤坊良斎原栄宅吉田天山

今日のキーワード

パラチオン、パラチオンメチル

パラチオンは無色で油状の液体、パラチオンメチルはコハク色の液体。ともに毒性が強く、有機リン系殺虫剤として使用された。50年代以降、稲の害虫被害を防ぐことが確認され、広く導入された。しかし、農民の中毒死...

続きを読む

コトバンク for iPhone