伊藤伝右衛門(読み)いとう・でんえもん

朝日日本歴史人物事典 「伊藤伝右衛門」の解説

伊藤伝右衛門

没年:天明5.5.23(1785.6.29)
生年:寛保1(1741)
江戸中期,美濃国(岐阜県)大垣藩士,治水技術者。名は正敦。安八郡楡俣村の農民西松家に生まれ,大垣藩士伊藤政明の養子となる。領内で特に低地の2郷40村余の排水のために,多芸郡横曾根村,安八郡塩喰村・今福村に伏越樋や水路の設置を立案し,天明初年にその工事を監督,完成。しかしその後の大雨による揖斐・牧田両川の増水によって被害が発生し,責任をとって自刃したといわれる。しかし川の水位が下がると排水路は機能するようになり,古宮・今宮両輪中村々の米の収穫は増大した。明治38(1905)年旧鵜森水利組合によって鵜森に建立された旧藩主戸田氏の碑文には「殺身仁民」とある。<参考文献>『濃飛偉人伝』『新修大垣市史』

(松田之利)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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