幕末・明治期の宗教家。神理教の教祖。天保(てんぽう)5年豊前(ぶぜん)国(福岡県)徳力(とくりき)に佐野経勝(つねかつ)の長男として生まれる。青年時代に国学と医学を学び、明治維新後宗教家として活動を始める。盛んに書を著して各方面に献本するかたわら、1879年(明治12)教導職を務め、1880年には神理教会を小倉(こくら)に設立。北九州を中心として各地に巡教、しだいに信者を増した。1894年神理教が御嶽(おんたけ)教から一派独立すると、その初代管長に就任した。家伝の教え、また禁厭(きんえん)(まじない)、占いなどをもって布教・教化活動の手段とした。『神理図図解』など多数の著書がある。
[井上順孝 2018年6月19日]
幕末・明治期の神道家。豊前国企救郡徳力村に生まれ,西田直養(なおかい)門で神道,国学,歌道を学ぶ。医学を志したが勤王の志士となり,1879年神道教導職として大教宣布に従事,饒速日命(にぎはやひのみこと)以来の遺法と称する神道行事を再興した。80年神理教会を創立,94年神理教を開教し初代管長に就任。鎮歌,神楽,禁厭を尊重し,古礼を重視するとともに,いけばな,茶道,俳諧を振興,角力(すもう)を奨励した。
執筆者:大濱 徹也
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…産土神信仰を重視した平田派国学者には,この語を神学的に解釈する者が多い。六人部是香が産須那を産為根(うぶすね)として万物を産む根本の意に解し(《産須那社古伝抄広義》),また佐野経彦が,産為根はウブスニという語がウヂ(氏)という語に約したものと同義で,産土神は氏神のことだと説いている(《宇夫須那神考》)。そのほかに,産砂とあて梅宮神社の砂を出産の守りとするところから出たとする解釈(《神道名目類聚抄》)や,〈産住場(うぶすにわ)にて,産出てやがて住場なればにや〉(《神祇称号考》)とするものもある。…
※「佐野経彦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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