か‐けいめい【何景明】
- 中国、明代の詩人。字(あざな)は仲黙。号は大復。李夢陽とともに、「前七子」の中心人物として、格調を重んじる復古説を主張したが、極端な模擬には反対し、やや立場を異にした。詩文集「何大復集」。(一四八三‐一五二一)
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何景明 (かけいめい)
Hé Jǐng míng
生没年:1483-1521
中国,明代の詩人。字は仲黙,大復と号した。河南信陽の人。1502年(弘治15)20歳で進士となり,中書舎人,吏部員外郎,陝西提学副使を歴任。李夢陽(りぼうよう)らと〈前七子〉(七子)の一人に数えられ,古文辞を唱導した。1511年(正徳6)ごろ李夢陽の模擬に過ぎる作風を批判し,清新な独創の文学を主張した。〈明月篇〉はそれを示す一例であり,李夢陽の文学における重くるしい感じの用語を排し,蟬聯体をまじえ対句を生かし,今体に近い平仄(ひようそく)の配列を試みて,リズム感のある古詩として新生面を開いた。
執筆者:横田 輝俊
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何景明
かけいめい
He Jing-ming
[生]成化19(1483)
[没]正徳16(1521)
中国,明の文学者。信陽 (河南省) の人。字,仲黙。号,大復。弘治 15 (1502) 年進士に及第。中書舎人,吏部員外郎,陝西提学副使を歴任した。初め李東陽に師事したが政治上の問題でその門を離れ,李夢陽 (りぼうよう) らと,古文辞と呼ばれ,秦,漢の文,盛唐の詩を理想とする古典主義文学運動を提唱。李夢陽,辺貢,徐禎卿とともに「弘正四傑」と呼ばれ,李夢陽と並んで「何李」と称された。その詩は清新俊逸。著作『何大復先生集』 (38巻) ,『何子雑言』『大復論』など。
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何景明
かけいめい
(1483―1521)
中国、明(みん)中期の詩人。字(あざな)は仲黙(ちゅうもく)。号は大復(たいふく)。信陽(河南省)の人。1502年の進士。中書舎人、陝西(せんせい)提学副使などを歴任した。復古主義を唱えた前七子(ぜんしちし)のなかでは、李夢陽(りぼうよう)とともに指導的立場にあり、李何と並称されたが、のち夢陽は模擬を、景明は創造を主張して対立した。詩は格調にやや乏しいが、穏和な詩想と柔軟な表現をもち、七言古体の長詩「明月篇(へん)」は、詩への見識を示す序文とともに、傑作として名高い。『何大復集』がある。伝は『明史』文苑伝(ぶんえんでん)2に記される。
[福本雅一]
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世界大百科事典(旧版)内の何景明の言及
【七子】より
…後漢末の〈建安の七子〉([建安文学])と明代の〈前七子〉〈後七子〉が有名。前七子は明の弘治年間(1488‐1505)に李東陽に抜擢(ばつてき)されて進士となり,正徳年間(1506‐21)に北京で活躍した李夢陽(りぼうよう),何景明,王九思,辺貢,康海,徐禎卿,王廷相の7人の文人である。秦漢の文,盛唐の詩を文学の目標として,明の永楽年間(1403‐24)以後の文壇の沈滞と低迷を打破した。…
【中国文学】より
…あたかも書道における往古のどの名筆を習うべきかの議論に似ている。 明の中期(16世紀前半)の李夢陽(りぼうよう),何景明らの前七子は唐詩の至上をとなえ,同じ世紀の後半李攀竜(りはんりゆう),王世貞らの後七子はその説をさらにおし進めた。《唐詩選》はこの派の教科書であった。…
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