作品(読み)さくひん

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

作品(作者によって生み出されたもの)
さくひん
work英語
Werkドイツ語
uvreフランス語

作品概念の危機

作品は芸術に限らないが、芸術作品がその典型である。どこまでを作品とみるにせよ、内外のほとんどの百科事典や哲学事典に「作品」の項目がないという事実が端的に示すように、作品は自明の存在とみられている。ところが、20世紀の前衛芸術の多くが伝統的な作品形態を破壊しようとした結果、作品概念の問題性が浮き彫りにされてきている。そこでまず、この異議のいくつかをあげるならば、第一は既成品をオブジェとして用いる「レディ・メイド」である。1917年、M・デュシャンは既成の小便器を逆さまに置く形で、『泉』という標題と仮名の署名を添えて、展覧会に出品しようとした。この思想行為が物議を醸したのは、「つくる」ことと「わざ」を根本とする芸術概念を否定するものであったからである。この傾向の延長上にコンセプチュアル・アートconceptual artがあり、創造にかわるものとしての引用に対する理論的関心がある。第二にあげるべきは、作品の計画性に対する否定としての偶然性の強調である。文学におけるシュルレアリスムの自動記述や、絵画におけるアクション・ペインティングaction painting(J・ポロックら)以上に徹底しているのが、J・ケージをはじめとする偶然性の音楽である。楽譜をもたず、つくりだされる音形象も演奏のたびに異なる楽曲について、人々は、作品にかえて「パフォーマンス」performanceを好んで語っている。これらの創作上の前衛に呼応して、鑑賞者の解釈の権利を主張する立場から作品の絶対性を攻撃するのが、J・クリステバやR・バルトのテクスト理論である。彼らにとって、作品とは客観的、一義的な存在であるのに対して、テクストとは、個々の読み手が自らの経験と知識を背景として、その作品のなかに読み取るもののことであり、2人は作品からテクストへの転向を主張してきた。[佐々木健一]

作品概念の近世史

これらの異議を通して陰画として浮かび上がってくる作品概念は、作者の計画と「わざ」によって生み出され、その作者のしるしを帯びて同一性を保ち続けている存在、と要約することができる。このような概念は、少なくともルネサンス期にさかのぼる起源をもち、近世の西欧思想史において枢要な役割を担ったものと考えられる。この時代の芸術論の中心概念として統一性、構成composition、そしてディセーニョdisegno(イタリア語で構想もしくは意図とデッサンとを意味する)を取り出してみれば、これらはいずれも前記の近代的な作品概念を形づくる契機である。チェンニーニに始まりバザーリの美学の中心概念となったディセーニョは、作者の計画に創造性を認める考えを表しつつ、その計画が作品の骨格もしくは組立てのなかに現れてくるという見方を同時に示している。したがってそれはコンポジション(構図)の概念と一体であり、両者は色彩とともにルネサンスの絵画論の主要3概念であった。コンポジションは音楽において作曲と楽曲をさすが、その意味するところは、即興とは対比的に、立体的な組立てと、記譜によって同一性を保証された構築物である。それはポリフォニーpolyphonyの成立とともに、16世紀には確立していた概念である。このような思想は完結した全体性を旨とするものであり、統一性の概念ともつながっている。統一性の理論の典型は、演劇論における三統一の規則であり、アリストテレスに準拠しつつ、規則としてこれを体系化したのは16世紀のイタリアである。
 このような作品概念は、古い文化体系の崩壊したあとに新しい秩序を希求した時代精神の反映でもあるが、作者との絆(きずな)と秩序という二つの契機は、作品という名辞そのものに即しても検証される。この面では注目すべき点が二つある。第一は、神学的術語としての作品であり、ラテン語でopera bona(よい仕事=作品)とは「善行」のことである。これが霊魂の救済において神の恩寵(おんちょう)といかなる関係にたつかということこそ、宗教改革と反動宗教改革における主たる争点であった。この神学は行為と行為主体の責任を結び付ける考えを通して、作品に作者の個性の反映をみる思想を助成した。第二は、古来、作品とよばれてきた典型が著作と建築物であるという事実である。とくに建築は、創造主としての神を建築家になぞらえる長い伝統をもっていた。天文学の発達によって、宇宙は、物理的な無限の広がりを明らかにして、中世的な閉じた体系性を失う反面において、神の作品としては秩序を本質とする形而上(けいじじょう)学的統一を保ち続けた。たとえばマルブランシュにおいて、この宇宙の秩序は作者である神の英知の表現であり、改めて作品と作者の結び付きが主張されている。そして、神の作品と人の作品の比較は、マルブランシュをはじめ多くの思想家が好んで論じた主題であり、そこには自然への関心とともに、自らの創造的本性に向けた人間の関心が反映している。[佐々木健一]

構造と価値

このようにして成立した近代的作品概念に向けられた現代の批判のうち、少なくとも2点は作品の構造論のなかに取り込んで考える必要がある。まず、完結し、統一をもった全体性としての作品が、あまりに対象的、静態的であると考え、即興や解釈の力動性を強調する主張は、作品の本質としての動態を考える契機となる。作品は物体ではなく意味によって構成された実体であるから、その意味を現実化する精神の働きは、すでに作品の構造の一部分である。おしなべて人工品は、特定の目的に向けてつくられたものであり、その目的はそれぞれの文化によって規定されている。人工品のなかでも作品とよばれるものは、ある精神的世界を内に含み、その世界の開示を本質とするものである。そのような「作品というもの」を了解している文化と、その文化を体現している解釈者があって初めて、作品は成立する。完結性や統一性のような内的構造契機にしても、それを支えているのは、最大の意味充実を求める精神の本質としての解釈学的意志である。静態的にみえる作品の内部は「外」によって支えられたものであり、作品はU・エーコのいうごとく「開いた」存在なのである。このことは作品の内部世界についても妥当し、解釈が作者の意図しなかったような意味を読み取る可能性が開かれている。したがって、作品を作者のドキュメントとみるロマン主義的な作品観は批判されなければならない。確かに、傑作であればあるほど、解釈の可能性は大きく深く、作品は作者から独立してゆく。しかし、この独立も、哲学作品の場合には芸術作品よりも小さいし、また傑作ほどその開示する世界は個性的であるために、その世界が作者と結び付けられて、逆に作者との絆を強くするという面のあることもまた、認識する必要がある。
 最後に、作品存在の価値は奈辺(なへん)にあるのか。近代思想はそれをもっぱら作者の個性の認識に求めたが、それが作品の唯一の価値ではない。マルブランシュの神は、栄光のために美しい宇宙を創造するのであり、作品は力と英知の証(あかし)である。この価値づけが人の作品に妥当することはいうまでもない。またバレリーは(『エウパリノス』)、精神と肉体の真に合一する場所を作品に求めたから、作品は人間を真に人間的にする役割を担わされている。さらにハイデッガーは(『芸術作品の起源』)、作品において初めて真理は結晶し、生き生きと現れてくる、と考えている。これらの価値づけは、どれか一つが正しいという性質のものではない。そのすべてが作品に属する可能性である。[佐々木健一]
『佐々木健一著『作品の哲学』(1985・東京大学出版会) ▽新田博衛著「美的経験」(『講座美学2 美学の主題』所収・1984・東京大学出版会) ▽エーコ著、篠原資明他訳『開かれた作品』(1984・青土社) ▽ホアキン・M・ベニテズ著『現代音楽を読む』(1981・朝日出版社) ▽伊吹武彦訳『エウパリノス』(『ヴァレリー全集 第3巻』所収・1967・筑摩書房)』

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