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シュルレアリスム シュルレアリスム surréalisme

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

シュルレアリスム
シュルレアリスム
surréalisme

超現実主義。第1次世界大戦後,ダダの流れをくみながらその破壊的な性格を否定して建設的方向に転じた文学,美術の革新運動。ブルトンが 1924年に「シュルレアリスム宣言」を発表して,この運動を明確なものにした。

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知恵蔵2015の解説

シュルレアリスム

20世紀の芸術の中で、最も影響力のあった動きの1つ。1920年代、パリを中心に詩人アンドレ・ブルトンらによって提唱された文芸・美術思潮。フロイト精神分析理論などの影響を受けて、夢や無意識、狂気、偶然などに注目。人間の精神を解放する具体的な方法を模索したことから超現実主義とも訳される。頭に浮かんだ言葉やイメージを修正せず、直接書き取るオートマティスム(自動筆記)は、その代表的な手法。24年、ブルトンはシュルレアリスム宣言を発表、雑誌「シュルレアリスム革命」には、デ・キリコピカソマン・レイエルンストの作品を掲載、25年に開かれた「シュルレアリスム絵画展」では、エルンストやマン・レイのほかミロ、アルプなど運動の中核者が参加した。この動きはベルギーマグリットスペインのダリへと広がった。特にエルンストは印刷物のイメージを合成したコラージュや、物の表面に紙をこすりつけて模様を浮き上がらせるフロッタージュ絵の具を塗りつけた紙を他の紙に押しつけて、偶然の模様を作るデカルコマニー(転写法)などの手法を駆使した。世界的なネットワークとして広がり、第2次大戦後まで影響力をもった。

(山盛英司 朝日新聞記者 / 2007年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2015」
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百科事典マイペディアの解説

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世界大百科事典 第2版の解説

シュルレアリスム【Surréalisme】

超現実主義。1920年代のはじめにフランスの詩人ブルトンらによって開始された文学・芸術上の運動,およびその思想・方法等を指す。発端は1919年に彼とスーポーとが試みたいわゆる〈自動記述(オートマティスム)〉(《磁場》1920)にある。この実験の結果,思考の純粋かつ原初的な姿に触れうると信じた彼らは,アラゴンエリュアールらとともに,その確信にもとづく新しい思想と運動の可能性を探りはじめた。20年からはツァラピカビアらのパリ・ダダの運動に参加するが,他方,ペレ,デスノスクルベル,エルンストらの詩人,画家を加えて,夢や催眠術,霊媒現象などの実地研究を行い,それらを通じて,理性の統御を受けないオートマティックな思考の存在を確認,これをかりに〈シュルレアリスム〉と名づける。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

シュルレアリスム
しゅるれありすむ
le surralisme

超現実主義と訳される。1924年、フランスの詩人ブルトンの『シュルレアリスム宣言』Manifeste du surralisme刊行によって開始された文学・芸術上の運動、およびその思想・方法等をさす。元来アポリネールの造語であったが、ブルトンの付与した意味はその前例とは異なるもので、1919年、彼がスーポーとともに試みた「オートマティスム」l'automatismeまたは「自動記述」l'criture automatiqueの実験に基づく。『宣言』の定義に「理性によるいっさいの制約、美学上、道徳上のいっさいの先入見を離れた、思考の書き取り」、また「これまで閑却されてきたある種の連想方式の優れた現実性への信頼、および思考の非打算的活動への信頼に根拠を置く」云々(うんぬん)とあるのは、その前提を重んじるがゆえである。[巖谷國士]

1920年代

ブルトンは1920年以後、アラゴン、エリュアール、ペレ、デスノス、クルベルRen Crevel(1900―35)らとともにパリ・ダダの運動に協力するが、やがて夢や霊媒現象の研究に着手し、フロイトの精神分析、ランボーやロートレアモン以後の新しい詩的言語、20世紀初頭からの前衛芸術の諸方法、アナキズムに連なる革命思想等々の影響下に、新しい人間観の達成を目ざす。彼らのいわゆる「超現実」le surrelは現実の外にあるものではなく、むしろ現実に内在する「より高次の現実」の謂(いい)であって、それを再発見し「真の人生」を実現するためには、思考の解放、想像力の復権、夢や狂気や超常現象の再検討が必須(ひっす)であるとされる。
 その主張に基づいて機関誌『シュルレアリスム革命』を創刊、「シュルレアリスム研究センター」を開設し、アルトー、ランブール、レーリス、クノー、プレベールら多くの詩人、エルンスト、マン・レイ、デ・キリコ、ミロ、マッソン、タンギーら多くの画家が加わり、多彩な活動を繰り広げる。だが人生の変革を標榜(ひょうぼう)するその思想はしだいにマルクス主義との対決を迫られ、主力メンバーが一時フランス共産党に入党、その政治的選択をめぐって内部分裂が始まる。ブルトンの『シュルレアリスム第二宣言』Second Manifeste(1929)は多くの成員を除名し、弱体化が予想されたが、新機関誌『革命に奉仕するシュルレアリスム』の創刊後、シャール、サドゥール、ブニュエル、ダリらが加わり、運動の第二段階に入る。[巖谷國士]

1930年代以降

1930年代にはその影響はすでに国際化しており、ベルギー(マグリットら)、イギリス(ペンローズSir Roland Penrose(1900―84)ら)、デンマーク(フレディWilhelm Freddie(1909―95)ら)、ドイツ(ベルメールら)、チェコスロバキア(トワイヤンCerminova Toyen(1902―80)ら)、ルーマニア(エロルドJacques Hrold(1910―87)ら)、また中近東から北アフリカ、南北アメリカ大陸にかけて、さらに日本(滝口修造ら)にも、有力な同調者が現れる。第二次世界大戦勃発(ぼっぱつ)とともに主力はヨーロッパからニューヨークに移るが、47年にブルトンがパリに戻って以来、新世代の参加者による運動が展開され、「五月革命」(1968)後までその余波が残る。ブルトンらに代表される文学上の成果、そしてエルンストらに代表される絵画上の成果にとどまらず、すでに芸術の諸ジャンルを超えた人間と現実との関係の総合的な把握の試みとして、現代思想の各分野に大きな影響を及ぼしている。[巖谷國士]

美術

美術上のシュルレアリスムはこの運動の一局面ではあるが、しかしもっとも豊かな成果を生んだ。ブルトンの『シュルレアリスム宣言』では、美術について触れる部分は付随的でしかなかった。また初期には、造形美術におけるシュルレアリスムの可能性を否定する声さえあった。しかし、1922年すでにブルトン自身、エルンストらのコラージュ作品に、詩人たちの理念に合致するイメージの存在をみいだしていた。もともとダダの運動との密接なかかわり合いから出発したシュルレアリスムは、「ダダからの分離」を強調する一方で、そのイメージのある部分に、具体化された理念を認めざるをえなかったといえよう。歴史的にはウッチェロからギュスターブ・モローまでのさまざまな先例がそうであり、同世代には、デ・キリコのオニリスム(夢魔)、エルンストのフロッタージュがあった。1922年エルンストは、シュルレアリストたちの群像を描き、そのなかにエルンスト自身やデ・キリコを描き込んでいる。24年には、ミロもその超自然主義的な画風でグループに加わる。また詩人たちの考える「自動記述的」内発的な表現を、素描で示したマッソンも、初期のもっとも代表的なメンバーである。
 マッソンはやがてこの手法を油彩に適用して、いわゆる「砂の絵」を生み出したし、エルンストもフロッタージュの手法を創案して、内面の暗黒部にあるものをいわば喚(よ)び起こすことを求めた。年代的にはかなりあとになるが、オスカル・ドミンゲスOscar Dominguez(1906―57)によって創始されたデカルコマニー(転写法による自動的、偶然的な形態の発見)の手法、あるいはウォルフガング・パーレンWolfgang Paalen(1905―59)によるフュマージュ(ろうそくの炎で煙の燻(いぶ)し跡をつける)の手法、あるいはマグリットにおける意外なものの出会いの効果(これは詩人たちによる常用の手段であった)、ダリの「偏執狂的批判の方法」など、さまざまな特異な手法がこの派を特徴づけている。いいかえれば、同一の新しい方法や美学で一致する流派ではなく、それぞれのテーマと方法によって、夢や内面をイメージ化するべく集合したのがシュルレアリストたちであった。
 ブルトンは1928年『シュルレアリスムと絵画』Le Surralisme et la peintureを著したが、そのなかで画家の使命について「造形美術とは、もしそれが、今日だれもが肯定しているような現実的な価値を完全に改訂しようという要求にこたえるものだとすれば、その出発点として純粋に内なるモデルをもたなければならない」と語っている。『シュルレアリスム宣言』の翌年、1925年パリのピエール画廊で、最初のシュルレアリスム展が開催されたが、おもな出品者は、デ・キリコ、クレー、アルプ、エルンスト、ミロ、ピカソ、マン・レイたちであった。その後、パリのジャック・カロ街にシュルレアリスム画廊が創設されて活動の拠点となり、運動は1920年代末から30年代にかけて飛躍的に拡大している。
 タンギーは1925年に運動に参加しているが、やがて彼は、精緻(せいち)な、写実的描写法を用いて、海底とも宇宙空間ともわからない、いわば無名の空間に、やはり無名の有機的物体を描いて特異な世界を形成した。タンギーとともにシュルレアリスムの第二世代を代表するのが、29年にパリでデビューしたダリである。偏執的な幻覚をやはり緻密な写実的描法で描くダリの世界は、もっともシュルレアリスティックな造形であるといえよう。30年代には、前述のドミンゲス、パーレンのほか、ベルメール、ジャコメッティらが運動に加わっている。
 1930年代の社会的・政治的な緊張と不安の高まりのなかで、シュルレアリスムは数多くの優れた作品を生んだ。ピカソの『フランコの夢と嘘(うそ)』『ゲルニカ』、ミロの一連のやはりスペイン市民戦争の不安や怒りを伝える作品、あるいは内乱の予感を示すダリの『豆の煮えるまで』などが代表的作品としてあげられる。
 一方、シュルレアリスムは、意識下の開発といった点で、また反倫理的な姿勢として、好んで性、エロティシズムをテーマとしている。この場合もピカソ、ミロ、ダリ、エルンスト、マグリットたちによるさまざまなイメージの提出がなされた。
 しかし、1930年代における政治的な問題へのアプローチと、テーマや方法の多様化は、シュルレアリスムの伝播(でんぱ)、国際的な拡大にとって絶好の土壌であったと同時に、内部的な対立や分裂の原因ともなった。
 日本へのシュルレアリスムの移植は、1931年(昭和6)福沢一郎によってなされている。ロンドンでは、36年ペンローズによって大規模なシュルレアリスム展が開催され、ポール・ナッシュ、ヘンリー・ムーアたちが参加している。やがて、30年代のこのようなシュルレアリスムのある種の絶頂期は、第二次世界大戦によって解体し、終幕する。巨大な「現実」の支配するとき、どのような「超現実」も沈黙せざるをえなかったというべきだろうか。
 1941年ブルトンはアメリカに亡命し、エルンスト、デュシャンたちとともに運動を継続している。評論誌『VVV』(1942~44)が彼らの機関誌であった。密林の奇怪な印象を描くキューバの画家ウィルフレード・ラム、漠とした空間を大カンバスに描くチリ生まれのロベルト・マッタRoberto Sebastiano Matta Echaurren(1912―2002)たちがその影響を受ける。やがてアメリカの戦後の前衛を形成するゴーキー、マザーウェルRobert Motherwell(1915― )、コルダー、トビーたちもその影響を受けた。ポロックの40年代後半の作品群にもマッソンやエルンストの手法、とくにドリッピング(カンバスの上に直接絵の具を垂らして描く方法)の手法の影響がみられる。しかし、こうした影響はいずれも、その後の抽象表現主義なりアクション・ペインティングなりにしだいに吸収されていった。[中山公男]
『滝口修造編『アンドレ・ブルトン集成』1、3~7巻(1970~74・人文書院) ▽巖谷國士著『シュルレアリスムと芸術』(1976・河出書房新社) ▽フィリップ・オードゥワン著、岡谷公二・笹本孝訳『シュルレアリストたち』(1977・白水社) ▽U・M・シュニーデ著、山脇一夫訳『世界の巨匠シリーズ 別巻 シュールレアリズム』(1980・美術出版社) ▽トリスタン・ツァラ著、浜田明訳『ダダ・シュルレアリスム 変革の伝統と現代』(1985・思潮社) ▽アンドレ・ブルトン著、稲田三吉・佐山一訳『ブルトン、シュルレアリスムを語る』(1994・思潮社) ▽アンドレ・ブルトン著、秋山澄夫訳『シュルレアリスムとは何か』(1994・思潮社) ▽巖谷國士著『シュルレアリスムとは何か――超現実的講義』(1996・メタローグ) ▽サイモン・ウィルソン著、新関公子訳『シュルレアリスムの絵画』(1997・西村書店) ▽アンドレ・ブルトン著、粟津則雄他訳『シュルレアリスムと絵画』(1997・人文書院) ▽J・シェニウー・ジャンドロン著、星埜守之・鈴木雅雄訳『シュルレアリスム』(1997・人文書院) ▽浜田明・田淵晋也他著『ダダ・シュルレアリスムを学ぶ人のために』(1998・世界思想社) ▽マシュー・ゲール著、巖谷國士・塚原史訳『ダダとシュルレアリスム』(2000・岩波書店) ▽ジュール・モヌロ著、有田忠郎訳『シュルレアリスムと聖なるもの』(2000・吉夏社) ▽五十殿利治編『シュルレアリスムの美術と批評』(2001・本の友社) ▽P・ワルドベルグ著、巖谷國士訳『シュルレアリスム』(河出文庫)』

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世界大百科事典内のシュルレアリスムの言及

【アバンギャルド】より

…だが,第1次大戦中におこったダダは,嫌悪と自発性を原理として,芸術のタブラ・ラサ(白紙状態)への還元を求め,あらゆる物体や行為も芸術作品たりうることを立証した点で,カンディンスキーの精神の三角形を逆立ちさせた観がある。事実,前衛芸術の概念が普及したのは,ブルジョア社会の破局があらわになった第1次大戦以後で,抽象芸術シュルレアリスムがその二大潮流を形づくったほか,プルースト,ジョイス,A.V.ウルフ,A.ハクスリー,カフカ,ピランデロ,ドス・パソスらの文学も,先鋭な方法的実験によって注目された。反面,革命精神も流派や様式として実体化されると,モダニズムの風潮に飲み込まれがちで,ロシア革命後ソ連のプロレトクリトの運動や,資本主義諸国のプロレタリア芸術運動は,その点を厳しく批判したから,〈革命の芸術と芸術の革命〉〈政治の前衛と芸術の前衛〉の統一が絶えず求められた。…

【オブジェ】より

…ロシア,オランダの構成主義の,幾何学的構成物も見のがせない。シュルレアリスムのオブジェの導火線は,ジャコメッティが極度に不安定な,しばしば動く形態で,性的な欲望や不安を象徴したことにあり,それに触発されたダリは物体の日常的効用を最低限に制限して,詩の喚喩や隠喩のように無意識を細密に具象化する,〈象徴機能のオブジェ〉を提唱した。このような物体観は,迫真的に描かれた物体が現実にはありえない関係に配置されるダリ自身の絵画を含めて,映像のポエジーと神秘を著しく増幅させた。…

【自動記述】より

…1919年,フランスの詩人ブルトンによって創始され,シュルレアリスム運動発足の前提となった実験的記述法。道徳上,美学上のあらゆる先入主を捨て,しかもあらかじめ何を書くかをいっさい考えずに,できるだけ速く,自動的に,文章を書き進めてゆく行為を言う。…

【精神分析】より

…トロツキーは精神分析に共感を示していたが,正統派マルクス主義は,精神分析を排拒したのである。フランスでは,精神分析そのものはあまり受け入れられなかったが,前衛的芸術,とくにシュルレアリスムの運動に大きな影響を与えた。シュルレアリストは,〈理性〉が把握する現実とは別の偶然,幻覚,夢,狂気などのうちに超現実の領域を探求しようと,フロイトの学説を援用しつつ,自動記述やコラージュ,フロッタージュ,デカルコマニーなどの手法を駆使して,詩的想像力と無意識の激烈な解放を実践し,さらにはブルジョア文化の転覆と社会主義革命をめざした。…

【戦間期】より

…また既成芸術の全面否定のうえに新しい美の秩序を打ち立てるべきであると考えたダダイズム(ダダ)も,急進左派の政治運動に支持者を供給した。政治状況と密接に関連したもう一つの芸術運動に,ダダの分流たるシュルレアリスムがあった。ワイマール期の前衛芸術運動で落とすことのできないのは,1919年4月,ワイマールに設立された〈バウハウス〉である。…

【ダダ】より

…パリでは〈黒いユーモア〉の体現者バシェや奇行好きの拳闘家A.クラバンらに刺激され,19年3月反文学的雑誌《文学》を創刊したブルトン,アラゴン,エリュアール,スーポーらが,チューリヒから来たツァラやピカビアを加えてさまざまのダダ的集会や実験を展開した。しかし,ブルトンらはやがて後者と対立し,想像力の体系的探求をめざすシュルレアリスムにむかった。 ダダの運動はそのほかイタリア,ロシア,スペイン,オランダ,ハンガリーにも波及した。…

【フランス文学】より

…また,あらゆるものに皮肉な疑いを向け,その懐疑をいわば微温的に享楽していたアナトール・フランスの小説も,世紀末的な傾向の側面を示している。
[シュルレアリスムと大河小説]
 世紀末文学の延長のようにして始まった20世紀の文学は,やがて独自の相貌を力強く現し始める。とりわけ〈象徴主義〉の影響から出発し,自我の内面に厳しい視線を注ぎつづけ,そこから豊饒な鉱脈を探りあてたバレリーの詩,クローデルの劇作,プルーストの小説は,フランス文学に新しい活力をもたらした。…

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