ルネサンス(英語表記)Renaissance

翻訳|Renaissance

精選版 日本国語大辞典 「ルネサンス」の意味・読み・例文・類語

ルネサンス

  1. 〘 名詞 〙 ( [フランス語] renaissance 再生の意 ) 一四~一六世紀にかけて、イタリアを中心に興った文化運動。古典文化を範として人間性の肯定を主張。封建制を打倒した商工都市の上層市民がその保護者、推進者。美術・文芸などに新分野を開いたが、その保守化とともに装飾的傾向が強まる。一六世紀にはアルプス以北に波及、宗教改革とも結びついた。文芸復興。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「ルネサンス」の意味・わかりやすい解説

ルネサンス
Renaissance

14世紀から16世紀にかけて,イタリアをはじめとして,ヨーロッパ各地に生起した,大規模な文化的活動の総称。哲学,文献学,キリスト教学,美術,建築,音楽,演劇,文学,言語学,歴史叙述,政治論,科学,技術などそれぞれの文化領域において,顕著な発展がしるされた。ルネサンスの用語自体は,フランス語で,〈再生〉を表す語に基づく。ここではルネサンスを,次の五つの側面から説き明かす。(1)概念の再検討,(2)歴史的・社会的背景,(3)形式上の枠組み,(4)内質上の志向性,(5)周辺と終息。したがって,ルネサンスを構成する個々のジャンルにおける達成・業績や文化財については,それぞれ該当する項目を参照されたい。

〈再生〉とは,ひとたび死滅した古代文化がその時代に蘇生したことを意味しており,その限りでは,イタリアを主要な舞台とする。古代の西ローマ帝国の崩壊とともに,それによって支えられていた古典文化は急速に失われていき,1000年に近い長い中世の間に人々によって忘却されていった。しかし,帝国の故地であるイタリアには,廃墟化した建造物をはじめとして,古典籍など古代ローマを想起させるものが多く残存しており,これらを素材とヒントとし,さらに,古代ギリシア・ローマの文献の読解をとおして,古代文化の再現が図られた。その文化は,人間的価値に強く固執し,現世的・世俗的ともいえる明澄さと人間理性の明証性への信頼とを基調としている。これは先行する時代である中世が,キリスト教の神を中枢においた信仰と従順を特質とするのと,著しく対照的である。ルネサンスによって再発見された,このような人間性と理性の尊重と,その成果としての学問・芸術は,ヨーロッパ近代精神の出発点をなしたものと解されている。〈ルネサンス〉の語そのものは,19世紀フランスの歴史家J.ミシュレが歴史学用語として使用して広まり,これに次いでスイスの歴史家J.ブルクハルトが,《イタリア・ルネサンスの文化》(1860)において豊かに意味づけを行ったものである。歴史用語として,日本では〈文芸復興〉と訳されたこともある。しかし,すでに15,16世紀の当時にあっても,〈再生〉を指すイタリア語rinascitaなどは古代の復興の意味で用いられており,再生は当事者の意識のなかにも,とらえられていた。

 以上のようなルネサンスの定義と理解は,20世紀においても,おおむね受け継がれ,人類史上でも,最も幸福な文運の時代の一つとして,多くの評価・研究の対象とされてきている。しかしながら,その間に従来のルネサンス観に対する異議や再検討の要請も行われた。おもな視点の第1は,次のようなものである。西ローマ帝国の消滅後,古代文化は1000年間沈黙していたというのは事実に反する。イタリアなどの旧帝国中心地では,言語・慣習のなかに持続して保たれていた。あるいはまた,古代文化は中世の間に繰り返し注目されていた。ことに12,13世紀にはヨーロッパ各地で古代精神の復興による学問・芸術の隆盛がみられた。ルネサンスの独創とみられたものの多くは,すでに中世の間に出現していた。このようなとらえ方の一例は,〈12世紀ルネサンス〉を提唱したアメリカの歴史家C.ハスキンズにみられる。さらに8,9世紀のカロリング・ルネサンスも提唱され,結果として,ルネサンスは中世の間に生起した複数の大小の復興運動の最終局面である,とも主張されるにいたった。

 第2の視点は,ルネサンスの精神史的新しさ,近代性を消極的に評価するものである。17世紀以降に達成される哲学,科学の近代化に対比して,ルネサンス時代のそれは散発的,偶然的で,少数の巨匠に限定されており,むしろ中世以来の閉鎖性,非合理性が目だつという。かつて想定されていた先進性よりも,後進性がより強調される。ルネサンスの歴史的位置をめぐる議論の構図は,ほぼ以上のようである。

イタリアは,ヨーロッパ封建社会のなかでは,いち早く,都市社会と商業活動の形成・発展をみていた。11,12世紀からレバント貿易に従事し,ことに13世紀後半からは,先進の東方諸国・都市と対等の勢力となっていった。都市の商人は,利幅の大きい東方との交易で巨富を蓄える一方,なかでも指導的商人は,金融業にも進出し,また織物,ガラスなどの初期工業をも支配下に置いた。都市は封建領主から自立して,政治的共同体(コムーネ)を形成し,中核となる市民は,社会的にも文化的にも自信にあふれていた。ルネサンスは,この市民と大商人貴族をリーダーとして,イタリア都市に生まれたものである。ことに都市貴族たちは,学者・芸術家を後見し,作品・出版物を購入するなど,すすんで文化運動を援助した。フィレンツェのメディチ家,ミラノのビスコンティ家スフォルツァ家フェラーラのエステ家,マントバのゴンザーガ家など,都市指導者である大パトロンの名が知られる。イタリアの都市は,遠距離商業(遠隔地商人)に従事することが多く,そのためにヨーロッパ外からの珍奇な文物が導入されたのも,ルネサンスに有利に作用した。とくに1453年,オスマン帝国によってコンスタンティノープルが陥落した際,その前後に同地の古典学者がイタリアに亡命し,ギリシア語学習熱をかきたてたという事実もこの脈絡にふくまれる。

 しかし,これらに加えて,いくつかの要件がある。14世紀中葉に突発したペストの大流行はその一つである。ペストはその後も断続的にイタリアとヨーロッパ全土を襲い,さしあたりは,社会と文化に壊滅的な打撃をあたえた。だが,ペストに直面した人々は,世界と人間の観照に独特の屈折と強靱さを発揮することになる。また,14世紀初頭から約1世紀間続いたキリスト教会の大分裂,ことに教皇庁のアビニョン移転は,イタリアに刺激をあたえた。教皇庁のローマ帰還を求める声は,イタリア人のナショナリズム感情をあおり,文化の特異性に対する意識をかきたてた。この傾向はペトラルカボッカッチョといった初期ルネサンスの詩人に,ことに強くみられる。さらに,より大きな視野からみれば,ルネサンスは14世紀から15世紀初めに全ヨーロッパを覆った全面的危機からの回復という側面をもっている。ペスト,不作,人口激減,階級・階層対立の激化,内乱などの悪条件はようやく15世紀中葉ころに終りを告げ,生産力の回復から,〈繁栄の16世紀〉へと展開しつつあった。新航路の発見(大航海時代)といった条件も加わって,ヨーロッパは経済的な成長と政治的な統合へと向かっていった。ルネサンスはこうした社会的好状況に支えられて,精神的生産力を倍加させたものである。ヨーロッパの活力の〈回復〉こそ,〈再生〉に必要な背景であった。

 しかし,単なる回復や繁栄ばかりではなく,ルネサンスの盛期には,人々の生活環境・生活様式の大きな転換があった。ことにイタリアの都市社会では,都市的な洗練された生活スタイルが生まれ,おりからの商業の発展もあって,消費文化の独特な様相が現れてきた。以上のようなマクロとミクロにおける時代状況の変転のなかで,ルネサンスの発生と展開が説明される。

すでにみたところから推論されるように,ルネサンスは,次の主要な三つの形式上の特徴のもとに考えられてきた。すなわち,いったん消失した古典文化の復興であること,知的体系として,合理性と専門性を備えていること,近代的価値に接続するものとして,恒久的に制度化された体系を獲得していること。これらの形式的特徴に基づいて,人文主義(人間的理想主義),現世主義,合理性と普遍性,個人主義などをルネサンスの指標とみなしてきた。しかし,これらの一般的理解には大幅な修正が必要と考えられる。その修正は,次の(1)(2)二つのレベルで行われる。

(1)復興,合理性,近代性の意味の再検討。〈復興〉とは,通常,古代の古典文化がいったん死滅したことを前提としているが,この認識には疑問がある。というのは,ギリシア古典文化は中世の長い年月の間,ヨーロッパ世界では縁遠かったものの,ビザンティン帝国とイスラム諸国においては,十分に保存され活発な発展をみていた。古代文化はこの二つの文明によって正統的に継承されていたのであって,死滅とはほど遠い状況にあった。ルネサンス期,もしくはその直前にあって,ヨーロッパはようやく,これらの継承者との接触によって古代文化の存在に気づき,本格的な摂取を開始した。当初はアラビア語を経由して,のちにはギリシア語を介して,古典文化に接近した。したがって,ルネサンスとは実質上は〈再生〉ではなく,ヨーロッパが,地中海文明の広大な遺産の価値を認識し,先進の東方文明から古代を継承する過程で起こったものである。ヨーロッパにとっては,古代は外来の文化価値であった。むろん,古代文明の体得のしかたは,東方とヨーロッパとでは異なるが,いずれが正統的で,いずれが邪道のものであるか,というような区別は成り立たない。

 第2の合理性についても,修正が必要である。ルネサンスにあっては,たしかに均衡のとれた冷静な理性原理,知解しうるもののみに立脚した主知的な客観性が尊重されてはいる。しかし,近年研究者の間で注目されているのは,主知的合理性とは区別される魔術的な世界観である。ルネサンス期には占星術や錬金術が盛行をきわめ,著名な科学者・哲学者でも,これらの魔術的知識に関与したことは,かねてから知られていた。これらのものは,古代ヘルメス主義(ヘルメス思想)や自然学,もしくはユダヤ教カバラ理論などの真正なテキストに関連を求められて,ルネサンス思想家の中心的な関心の一つとなっており,それはルネサンスの〈遅れた暗黒面〉としてではなく,むしろ積極的な主軸として機能していたとみるべきものである。ただし注意すべきことは,これらの魔術的思考は,現在でこそ合理的(理性的)思考の対極とされるものの,ルネサンス人にとっては相互に協同しうるものであって,相反的なものとして扱われているわけではない。むしろ,当時の最先端の学知として,実証的科学や文献学とともに,ルネサンス文化の枢軸を占めていたのである。

 第3に,ルネサンスが近代思想・科学の定礎であるとする見方に対しては,その当否が争われているが,それとは別個に,そうした系譜論的議論の方法ではなく,文化全般を同時代の社会の構造の内部において分析しようとする構造論的理解法が提起される。すなわち,とりわけ,後にみるように,15,16世紀には,ルネサンスと並行して宗教改革,大航海などの諸活動が進行しており,これらの時代的全要素のなかにルネサンスも定置すべきである,また先にみた社会的背景をも考慮にいれて,文化運動全体の論理的構造を,同時代性(サンクロニーsynchronie)のなかで完結してとらえることが先決だ,とするものである。以上の3点が,旧来のルネサンス観への修正として唱えられる。

(2)以上の修正をもふくめて旧来の理解法の対極が提唱される。まず,復活したにせよ外来にせよ,その古代文化とは異なる,ヨーロッパ土着の価値の開花が着目される。ゲルマン,ケルトなどの古来の土着文化は,中世をとおして展開され,ルネサンス期に独特の表現をとるにいたった。妖精,魔女,アニミズムの表象,さらに庭園における洞窟,迷路などには,明白に土着性を帯びた表現や観念が強調されている。第2には,学問・芸術のような専門性をもつ営みに対して,民間的で口承・民俗的な文化の高揚がある。これらは通常は文字化されないために,歴史の表面から失われていくが,ルネサンス文化の成熟のなかで強い影響力をもつにいたった。祝祭や演劇の場に現れる道化,愚者,あるいは祭儀における喧騒や役割逆転,漂泊,隠遁,法保護外者(アウトロー)などの周縁的存在などが,民俗的観念を体現している。第3に近代社会に直結するか否かはともあれ,制度化され,歴史の展開を画した諸達成とは別に,ルネサンスがごく日常的な生活場面にもたらした変容が問題にされる。たとえば,時計の普及が人々の生活時間を一変させたこと,騎士的宮廷儀礼が都市生活のなかに導入され,市民的スタイルに姿を変えて,マナーやエチケットを生み出したこと,食品や衣服が,生活水準の向上をうけて,文化的な価値として認識され,料理術やモード,ファッションに結晶していったこと,などを例としてあげることができる。以上の,土着・民俗文化,生活のあり方は,相互に分かちがたく結合しており,ルネサンス文化の基底を力強く支えているというべきである。

ややもするとルネサンスは,単一の特定の思潮傾向をもって規定されがちである。現世的で明証的,理性の進歩への信頼など,互いに整合的な諸要素の組合せとしてとらえられる。しかし先にみたところでも明らかなように,ルネサンスは,むしろ相互に整合的であるよりは,むしろ,相互に対抗的・競合的な要素の衝突と並立とみるほうが事実に近い。たとえば,ルネサンスは生への謳歌とされるが,同時に〈死の勝利〉〈死の舞踏〉という図像モティーフや,ペトラルカ以来の死の詩的モティーフが多用されている。あるいは,現世的な快楽の享受に対しては,禁欲が積極的に提起されることもある。G.サボナローラのような激烈な事例もあるが,一般に新プラトン主義哲学者は,絶対的唯一者の前での人間の卑小と服従を説いている。同様の構図は,都市と田園,進歩と終末,善と悪,理性と狂気,具体と象徴,世俗と神聖,可視と秘匿といった対(つい)の組合せのなかにも表れている。これらの組合せの前者は,一般にルネサンス的価値とみなされてきたものであるが,後者もまたルネサンス文化の随所に出現しているわけである。このようにみてくると,ルネサンスを特定の思想傾向で定義することを断念し,対立する諸要素の衝突の激しさ,あるいはその対立が生み出す波及領域の広大さや,文化・思想的エネルギーの巨大さこそがルネサンスの特質だと考えるべきであろう。ルネサンスは極端に明澄であって,かつ極端に暗黒でもあり,またはなはだしく人間的であり,かつはなはだしく非(超)人間的でもある,という逆説的な規定がかえって有効である。したがってルネサンス文化の諸ジャンルにわたって,個々にはルネサンス的様式というべきものが定義されうるにしても,全体としてルネサンス文化の統合的原理を特定することは,本質的に不可能ということになる。また,そのような事情から,ルネサンスの語を単に15,16世紀に生起した歴史的事件にのみ特定せず,擬似的には,歴史上の文化的諸事件に適用することが,手続上可能になる。12世紀ルネサンスやカロリング・ルネサンスのように,すでに定着した用語法はもちろん,パリ・ルネサンス,アイルランド・ルネサンスなどの用語法もこの意味で不当ではない。

ルネサンスを狭義にとらえるならば,同時代に並行して起こった宗教改革と大航海とは,別個の事件である。ルネサンスは,体制としてのキリスト教会には比較的浅い関連をもつのみであり,大航海と地理上の発見は,直接には経済上の目的と結果にかかわっていた。しかし,宗教改革とルネサンスはいくつかの点で結びついている。ルネサンス人文主義が喚起した批判精神は,教会権威の検証を促し,聖書の原典批判をとおして,新たな宗教感情を生起させた。ルターやカルバンの改革をうけいれた思想家のなかには,人文主義者が多数いたことが明らかである。しかし他方では,ルネサンス思想家は,価値を相対化する感覚をもち,宗教改革のもつ敬虔な理想主義とあいいれず,対立を招いたという側面もある。ルターと人文主義者エラスムスとの相克はこの事例としてあげることができる。さらにルネサンスがイタリア都市の経済力や,ローマ教皇の権威を背景として繁栄したことから,これの支配をうける地方における反イタリア感情を引き起こし,ルネサンスへの否定的態度を生み出した。ルターの改革の緒となった免罪符配布は,ルネサンスの精華ともいえるローマのサン・ピエトロ大聖堂の建設費用にあてられるべきものであったが,このいきさつは象徴的である。

 次に大航海との関連についていえば,大航海の推進者は,イベリア半島の国家であったが,ここには,イタリア人も探検・航海者として多く加わっていた。コロンブス,A.ベスプッチ,カボット父子らはイタリア人であり,地中海の航海技術ばかりか,地理・天文学やキリスト教伝道思想をも身につけ,ルネサンス文化の一端を担っていたといえる。また彼らを含む航海者がもち帰った世界情報と文物とは,16世紀初頭以降,ルネサンスに新たな刺激となった。その様相は,すでに文化的創造力の限界に達していたイタリアよりはスペイン,イギリス,フランスのルネサンス文化にとりわけ顕著である。

 ルネサンスは中部・北部イタリアの都市で起こり,発展した。狭義かつ厳密な意味においては,ルネサンスは14~16世紀イタリアに限定すべきである。上にみてきたルネサンスの諸規定も,さしあたりはイタリアのみに妥当するものと解しておく。しかしイタリアと文化的つながりをもつ諸国にあっては,それぞれの条件に応じて,類似の文化現象を生み出すことになった。一般的には,ルネサンスの定義を広くとり,上述のような規定のもとに考えたうえで,各国のルネサンスの存在を認める方向にある。ドイツにおいては,デューラーやクラーナハらの画家たちのイタリア絵画の影響下における活動が著しい。フランスでは,すでに15世紀から人文主義者が現れ,15世紀末のフランス国王軍のイタリア遠征によって,美術・建築の新風が導入された。また,ラブレー,モンテーニュらの文筆家の自由な発想の文学にも,ルネサンスの形跡が認められる。スペインでは,16世紀後半以降に戯曲や小説の隆盛がみられ,セルバンテスらにルネサンス風の解放感がみなぎっている。イギリスでは,人文主義者T.モアののち,16世紀後半にエリザベス朝演劇の大成果を実現し,文化全般の成熟をみた。これら非イタリア世界の文化的隆盛を,それぞれの国におけるルネサンスとみなしている。

 イタリア・ルネサンスは,16世紀の中葉にほぼ終結を迎えた。前世紀末から続いた外国軍隊による戦闘によってイタリアは荒廃し,ローマの略奪(1527)はその没落の象徴的事件であった。さらに宗教改革に対抗すべく,カトリック教会が行った諸改革,ことにトリエント公会議の諸決定は,文化全般にわたる教会の監督・干渉を強化した。国際経済システムの変換によって,繁栄にかげりの出ていたイタリア都市は,この結果,急速にルネサンスの活力を失っていった。同様の過程はフランス,スペインなどのカトリック国でも起こり,またイギリス,ドイツでも,プロテスタント支配や絶対主義国家の成立によって,ルネサンスには終止符が打たれた。しかしながら,イタリアを含めて,それぞれの国では,ルネサンスは,言語・文学・美術表現などをとおして,固有の国民文化の形成に資するところ大きく,いずれの場合においても国民的古典というべきものを生み出していた。したがって,歴史的事件としてのルネサンスは終息したとはいえ,国民文化の形をとって継承されたと考えるべきである。美術様式としてのバロックや,文学上の古典主義,音楽のバロックなど様式上は変換にさらされつつも,これらの遺産は,それぞれの国民の基本財産となっていった。
人文主義 →バロック劇 →ルネサンス音楽 →ルネサンス美術
執筆者:


ルネサンス
The Renaissance

イギリスの批評家W.H.ペーターの批評論集。《文芸復興》とも訳されている。1867年以後雑誌に発表した論文を集めて,73年に発表したが,第2版(1877),第3版(1888)で内容に変更がある。ルネサンス期の芸術家を論じて,作者自身の芸術観を明らかにした論文が多いが,とくに〈結論〉の章は彼の印象主義批評の宣言といってもよく,その大胆な主張は世間の非難を招き,第2版では削除,第3版で修正のうえ再録された。〈芸術のための芸術〉を擁護したこの著書は,オスカー・ワイルドら世紀末の唯美主義文学者に影響を与え,日本では田部重治の訳をはじめ数種の翻訳が大正時代以降出版された。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「ルネサンス」の意味・わかりやすい解説

ルネサンス

14―15世紀のイタリアをはじめとするヨーロッパ世界に興った広範な文化革新の称。元来,〈再生〉を意味するフランス語で,〈文芸復興〉との訳もかつてなされたが,現在ではそのまま片仮名書きされることが多い。宗教改革や地理上の発見,近代科学の誕生といったエポックとともに,人文主義,世俗主義,合理主義,個人主義などの指標を積極的な意味で用いつつ,〈暗黒時代〉たる中世からの決定的な離脱を実現した輝かしい近代の黎明として語られてきた。またその芸術的達成を代表とする偉大さと規範性は長く賞揚されてきたところである。このような見方は今日では多分にイデオロギッシュな自己理解として相対化されるとともに,〈カロリング・ルネサンス〉,〈12世紀ルネサンス〉といった概念も提唱されて,その非特権化が図られている。
→関連項目イタリアウィトルウィウスガルガンチュア岸田劉生シャルル[8世]林達夫バレエパンタグリュエルブルネレスキボルジア[家]松方コレクションミケロッツォ・ディ・バルトロメオメディチ[家]矢代幸雄

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ルネサンス」の解説

ルネサンス
Renaissance

ルネサンスとは古典文化の復興運動のことであり,イタリアで14世紀に始まり15世紀に最盛期を迎えた。その後16世紀にかけて,ドイツ,フランス,イングランドと北方諸国にも伝播した。まずイタリアでは,ペトラルカをはじめとするユマニスム(言語文献学的研究)の精神にもとづくギリシア,ローマの原典の発掘,研究とそれらを模範とする創作がなされた。しかし文学,思想以上に造型芸術の分野において,華々しい成果が現れた。メディチ家,エステ家,ゴンザーガ家など,各地の君主をパトロンとする芸術家たちが,それぞれの都市を美化しようと業(わざ)を競ったのである。建築のブルネレスキアルベルティブラマンテ,絵画のマザッチョ,ボッティチェリ,ピエロ・デッラ・フランチェスカ,彫刻のドナテッロ,ヴェロッキョ,ミケランジェロなど天才たちが活躍した。北方諸国においては,ルネサンスはより文学的になり,また宗教改革の動向ともからんで複雑な様相をみせた。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ルネサンス」の解説

ルネサンス
renaissance (フランス)

14世紀より16世紀にかけてイタリアを中心におこった,古典文化を手本とする人間性尊重の文化運動
語義はフランス語で「再生」を意味する。ルネサンス(文芸復興)は古代のギリシア・ローマに範を求めて人間と世界とを再発見し,中世のキリスト教的人間観・世界観からの解放を求めたもの。この人間中心のルネサンス精神は,イタリアの新興都市の財力と市民の自由の精神を基礎として生まれた。
【イタリア−ルネサンス】13〜14世紀にダンテ・ペトラルカ・ボッカチオたちは,熱心にギリシア・ローマの古典を探究した(人文主義)。美術ではレオナルド=ダ=ヴィンチ・ミケランジェロ・ラファエロの3人をはじめ,多くの天才が出現。やがてイタリア諸都市が相互の抗争と列強の侵入のために衰退すると,これに代わってアルプスを越えて西欧諸国に文化の中心が移った。
【西欧ルネサンス】エラスムス(オランダ),メランヒトン・デューラー(ドイツ),モンテーニュ・ラブレー(フランス),シェークスピア・トマス=モア(イギリス),セルバンテス(スペイン)らの業績は,広くルネサンスにつながるとともに,やがてそれぞれの国の国民的文化の基礎をつくった。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

日本の企業がわかる事典2014-2015 「ルネサンス」の解説

ルネサンス

正式社名「株式会社ルネサンス」。英文社名「RENAISSANCE, INCORPORATED」。サービス業。昭和57年(1982)「株式会社ディッククリエーション」設立。平成4年(1992)「株式会社ディックルネサンス」に改称。同15年(2003)現在の社名に変更。本社は東京都墨田区両国。大日本インキ化学工業子会社。スポーツクラブ運営。首都圏中心に全国展開。東京証券取引所第1部上場。証券コード2378。

出典 講談社日本の企業がわかる事典2014-2015について 情報

とっさの日本語便利帳 「ルネサンス」の解説

ルネサンス

再生、復興を意味するフランス語より。一五~一六世紀イタリアを中心とする古代文化の学芸復興を指す。今日、しばしば誤用され、単なる革新、一新の意味として用いられる。

出典 (株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」とっさの日本語便利帳について 情報

世界大百科事典(旧版)内のルネサンスの言及

【アカデミー】より

… アカデミーには今一つ,学芸の振興を目的とする学術団体という意味があり,今ではこの用法がもっとも普及している。学術団体としてのアカデミーは,古くは前述のカール大帝やアルフレッド大王の事績にさかのぼることもできるが,本格的には中世,とりわけルネサンス期に発展した。中世ヨーロッパを通じてもっとも名高いアカデミーとしては,1323年,南フランスのトゥールーズにトルバドゥールの詩人たちが結成した〈花の競技アカデミーAcadémie des jeux floraux〉が挙げられよう。…

【読み書きそろばん(読み書き算盤)】より

…そして国家が徐々に積極的に関与し始め,19世紀末までに,各国で国家の主導の下に初等教育の義務化ならびに無償化が実現されるに及んで,読み書きそろばんは国民のほとんどすべてに広まるのである。
[中世~ルネサンス]
 中世の文字教養は主としてラテン語に基づくものであり,ごく少数の人々に独占されていた。中世初期に出現した修道院学校,大聖堂学校,司祭学校などのキリスト教学校は修道僧と在俗僧の養成を,カロリング・ルネサンス期の宮廷学校は文芸研究の振興を,その後に生まれた中世の大学は神学者,法律家といった専門家の養成を目的とした。…

【ペーター】より

…65年同大学ブレーズノーズ・カレッジの個人指導教師となり,以後ほとんどここを離れることなく,死ぬまで思索と著作の独身生活を送った。批評家として最初に注目されたのは,1873年発表の《ルネサンス》で,これにより〈芸術のための芸術〉の擁護者,いわゆる〈印象主義批評〉の祖とみなされることとなった。O.ワイルドをはじめ,19世紀末の唯美主義文学者たちに強い感化を及ぼしたが,宗教や道徳を無視するとして非難を受けたこともある。…

※「ルネサンス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

タコノキ

タコノキ科の常緑高木。小笠原諸島に特産する。幹は直立して太い枝をまばらに斜上し,下部には多数の太い気根がある。葉は幹の頂上に密生し,長さ1〜2m,幅約7cmで,先は細くとがり,縁には鋭い鋸歯(きょし)...

タコノキの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android