日本歴史地名大系 「信太森」の解説
信太森
しのだのもり
信太森神社(葛葉稲荷神社)の鎮座地の森。古来都に聞こえた名所で、歌枕として数多くの詠歌があり、「枕草子」の「森は」の段にもみえる。また「恋しくは尋ね来て見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」の一首に代表される葛の葉伝説で知られる。「和泉名所図会」は「信太杜 稲荷社一名葛葉祠と称す 千枝楠」の挿絵を載せるとともに、「信太杜」の項に「信太郷中村の荘頭森田氏の宅地にあり、信太社より十町許西也、いにしへは、森の封境広大なり、今は、農家建ならびて、かの居地に方廿間許なる森ありて、草木繁茂し、尋常の叢林なり、稲荷祠あり、奥に白狐祠あり、林中に狐穴多し」「楠大樹 林中にあり、高サ八丈許、周リ五丈、株の太さ五尋、枝葉四方へわかれて、千枝万柯あり、遠く眺めば深林の如し、類なき老楠にして、根株ことことく石の形也、抑、此地は、信太神、初て鎮座し給ふ所とかや、社伝、旧記なく、只此老楠のみありて、信太森名、世に高し」「今、信太杜の稲荷の社檀に、葛の葉明神とて一座を祀る、此義は、〔抄〕に、安倍晴明が母は信太森の狐也とぞ、又、〔玄中記〕曰、千歳の狐は淫婦となる、百歳の狐は美女となると、見へたり、奇事を好もの、これらの義によりて、千歳の狐、葛の葉といふ美人に化したると云囃して、後世、こゝに祝ひ祭るなるべし」と記す。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報