出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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光永星郎(みつながほしろう)
みつながほしろう
(1866―1945)
実業家。広告代理店電通の創始者。肥後国(熊本県)生まれ。号は八火。東京・本郷の有斐(ゆうひ)校に学び、自由民権運動に加わる。1889年(明治22)『大阪公論』紙で新聞記者生活に入る。95年従軍記者をやめ台湾総督府官吏となる。98年退官し、通信機関の設立を構想する。1901年(明治34)通信業と広告代理業の兼営を意図して日本広告株式会社を創立、常務取締役に就任。06年個人企業として併営した日本電報通信社を独立させ、翌年二社を合併して株式会社日本電報通信社(1955年電通と改称)とする。23年(大正12)定款を改めて社長となる。広告代理業の近代化と通信事業の迅速化に尽くした。貴族院議員を務める。
[前田和利]
『八火翁伝記編集委員会編『八火伝』(1950・日本電報通信社)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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光永星郎
みつながほしろう
[生]慶応2(1866).肥後
[没]1945
通信社,広告代理店の経営者。『毎日新聞』『福岡日日新聞』などの記者を経て,1901年に日本広告株式会社と日本電報通信社を創立,07年にはこれらを合併して日本電報通信社を設立 (資本金 26万円) ,通信,広告を兼営したが,36年国策通信社として同盟通信社の設立とともに通信部がこれに統合されたため,以後 45年まで広告代理業の経営にあたり,今日の電通の基礎を築いた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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光永星郎 みつなが-ほしろう
1866-1945 明治-昭和時代前期の実業家。
慶応2年7月26日生まれ。「めさまし新聞」などの記者をへて,明治34年日本広告と電報通信社を設立。39年電報通信社を日本電報通信社(現電通)と改組し,翌年日本広告と合併。昭和11年国策により通信部門をきりはなし,広告代理業を専業とした。貴族院議員。昭和20年2月20日死去。80歳。肥後(熊本県)出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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光永 星郎 (みつなが ほしお)
生年月日:1866年7月26日
明治時代;大正時代の実業家。貴族院議員;日本電報通信社社長
1945年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の光永星郎の言及
【電通[株]】より
…旧社名の株式会社日本電報通信社を1955年に改称したが,旧社名時代も電通が通称だった。光永星郎(本名,喜一)が1901年(明治34)新聞社に対するニュース通信業と広告代理業の併営を志し,日本広告株式会社と電報通信社を東京京橋で開業したことに始まる。日露戦争後の1907年,この2社を統合して株式会社日本電報通信社を設立した。…
※「光永星郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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