日本大百科全書(ニッポニカ) 「入沢達吉」の意味・わかりやすい解説
入沢達吉
いりさわたつきち
(1865―1938)
医学者。元治(げんじ)2年1月5日越後(えちご)国(新潟県)に藩医入沢恭平(きょうへい)(1831―1874)の長男として生まれた。叔父に池田謙斎(けんさい)(1841―1918、恭平の弟)がいる。1889年(明治22)帝国大学医科大学を卒業。内科教師ベルツの助手となる。1890年より1894年までドイツに留学、ストラスブール大学、ベルリン大学で内科学、病理学を学ぶ。帰国後、宮内省侍医となったが3か月で辞任し、東京、日本橋に内科診療所を開設した。1895年医科大学助教授、1901年(明治34)教授となる。1916年(大正5)欧米出張より帰国し、レントゲン診断学の確立に尽力した。1920年宮内省御用掛、翌1921年東京帝国大学医学部長となり、1924年医学部長辞任後、教授職のまま侍医頭となる。1925年東大名誉教授。寄生虫病学、脚気(かっけ)に関しての貢献は大きい。昭和13年11月8日没。
[深瀬泰旦]
『入沢内科同窓会編・刊『入沢先生の演説と文章』(1932)』