日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
全日本電機・電子・情報関連産業労働組合連合会
ぜんにほんでんきでんしじょうほうかんれんさんぎょうろうどうくみあいれんごうかい
民間の電機・電子・情報関連産業で働く労働者によって組織された労働組合の連合体。略称電機連合。組合員数約60万6736人(2011年3月)。日本労働組合総連合会(連合)加盟組織。1946年(昭和21)に結成された全日本産業別労働組合会議(産別会議)傘下の全日本電気工業労働組合(全電工)が、民主化運動のなかで1949年10月に分裂解体したあと、分散していた全国機器電気産業労働組合連合会(機器電気。おもに重電系)と全国電機工業労働組合(全国電機。おもに軽電系)、それに1952年の賃上げ闘争ののち中立を保持していた東京芝浦電気労働組合連合会(東芝労連)を加えた三者を母体として、1953年6月全日本電機機器労働組合連合会(電機労連)が結成された。当初、日本労働組合総評議会(総評)への加盟を志向していたが、その後の定期大会で総評加盟問題は棚上げとなった。そして総評を脱退した単位産業別組合(単産)と日本労働組合総同盟(総同盟)でつくられた全日本労働組合会議(全労会議)が総評と対立して組織争奪を繰り返しているなか、電機労連は1956年9月結成の中立労働組合連絡会議(中立労連)の中軸組合となり、労働戦線統一の橋渡し役を表明した。
電機労連は春闘の始まりとされる1955年1月の8単産春季賃上げ共闘会議(春闘共闘)に最初から加わっていたが、また1964年5月に結成された国際金属労連日本協議会(IMF- JC、現全日本金属産業労働組合協議会=金属労協)にも加盟し、重要な役割を担ってきた。1967年春闘からはIMF-JCの設置する賃闘(賃金闘争)連絡会議で指導的役割を果たして春闘相場に強い影響力をもつようになり、1976年春闘以降は春闘共闘から金属労協のほうに軸足を移した。1980年代の民間先行労働戦線統一の流れでは民間大単産として舵(かじ)取り役を担った。1990年代に入ると電機産業関連労組の大結集を図るため、1992年(平成4)7月の大会で電機労連の名称を現名称に変更し、100万人組織を目ざしている。
[川崎忠文]
1987年の民間連合および1989年の連合結成においては中心的役割を果たし、連合の初代会長に竪山利文(たてやまとしふみ)を送り出したほか、その後も会長ないし事務局長という要職に人材を輩出し、連合のなかでの基幹組織の一つとして常に重要な役割を果たしている。
[早川征一郎]