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中立労働組合連絡会議 ちゅうりつろうどうくみあいれんらくかいぎ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

中立労働組合連絡会議
ちゅうりつろうどうくみあいれんらくかいぎ

略称,中立労連。 1956年3月,電機労連 (全日本電機機器労働組合連合会) を中心に設けられた中立労働組合懇談会を同年9月改組。労働組合のナショナル・センターとして日本労働組合総評議会 (総評) ,全日本労働総同盟 (同盟) ,全国産業別労働組合連合 (新産別) と合せて労働4団体と称された。 58年には春闘共闘委員会に参加,総評との連携を深め,79年3月新産別と全国労働組合総連合 (総連合) を結成,同盟と総評の仲介役として労働界の再編,統一を推進した。 87年9月全日本民間労働組合連合 (旧連合) 会発足を前にして解散。同年の組織人員 164万 6060名。

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中立労働組合連絡会議【ちゅうりつろうどうくみあいれんらくかいぎ】

略称は中立労連。1956年総評(日本労働組合総評議会),全労会議全日本労働組合会議)の対立の間で孤立していた全造船電機労連などの中立諸組合がその地位を確立するために結成した。
→関連項目春闘全日本電機機器労働組合連合会ナショナル・センター

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

中立労働組合連絡会議
ちゅうりつろうどうくみあいれんらくかいぎ

1956年(昭和31)3月22日に設けられた全国中立労働組合懇談会が、同年9月8日に改組されたもので、いずれの全国中央組織(ナショナル・センター)にも加盟しない中立組合の連絡・協議のための組織。70年代から全国中央組織の性格を強めた。略称中立労連。1987年(昭和62)11月、全日本民間労働組合連合会の発足に伴い、それに参加するため解散した。
 当初、メーデーで対立する日本労働組合総評議会(総評)と全日本労働組合会議(全労会議)をまとめると同時に、中立組合としてメーデー常任実行委員会にポストを確立するため、全日本電機機器労働組合連合会(電機労連、1992年以降全日本電機・電子・情報関連産業労働組合連合会=電機連合)、日本国有鉄道機関車労働組合(機労。1959年以降国鉄動力車労働組合=動労、さらに1987年以降は全日本鉄道労働組合総連合会=JR総連)、全日本造船労働組合(全造船。1946年以降全日本造船機械労働組合=全造船機械)など6組合で懇談会を設けたが、結束をさらに強化するため、中立13組合、75万人の連絡会議に改組した。59年から総評加盟単産による春闘共同闘争委員会に参加し(翌年から春闘共闘会議)、また58年警職法(警察官職務執行法)改悪反対国民会議、59年安保条約(日米安全保障条約)改定阻止国民会議に参加するなど、総評と緊密な共闘関係にたった。その後やや軌道修正され、IMF‐JC(全日本金属産業労働組合協議会)の結成を推進するなど右寄り路線に向かった。
 1970年10月の拡大全体会議で運動方針に準ずる活動目標が設定され、74年からは定期大会制度が採用されるようになり、全国中央組織の体制が確立した。76年の定期大会で資本・政党からの独立運営が明らかにされたが、79年3月には全国産業別労働組合連合(新産別)とともに全国労働組合総連合(総連合)を組織した。発足以来主張してきたものとして、総評と全日本労働総同盟(同盟)の間にたって82年12月の全日本民間労働組合協議会(全民労協)の結成を推進した。87年11月、全民労協が全日本民間労働組合連合会に改組されることにより、労働戦線統一が進んだとして中立労連は解散した。さらに全日本民間労働組合連合会は、89年(平成1)11月、日本労働組合総評議会(総評)などと統合し、日本労働組合総連合会(連合)となった。[松尾 洋]

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世界大百科事典内の中立労働組合連絡会議の言及

【中立労連】より

…正称は中立労働組合連絡会議。1987年連合結成にともない解散。…

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