京都北方の八瀬里(現,京都市左京区八瀬)の住民の古称。八瀬里は京都から大原,朽木を経て若狭,越前に通ずる街道筋にあり,比叡山延暦寺の京都側からの登山口で,11世紀には延暦寺青蓮院(しようれんいん)門跡領の荘園だった。住民は八瀬童子とよばれ,延暦寺に従属する一方,朝廷にも駕輿丁(かよちよう)として奉仕し,課役免除の特権が認められていた。そのことを示す1336年(延元1・建武3)の後醍醐天皇の綸旨(りんじ)が存在する。山間の村落のため,彼らは農業以外に山林を伐採し洛中(らくちゆう)で炭・薪の行商をして生活を立てた。この販売権は中世末,城下町に楽市楽座(らくいちらくざ)を施行した織田信長によっても認められている。また11世紀に彼らはみずからの共同組織である宮座を形成していた(日本最古の宮座の記録がある)。江戸時代にも中世以来の風俗が残っていたといわれ,黒川道祐は〈此所ノモノ各々髪ヲ長クシ丸ク結ヒ,カリソメニ見トキハ,男女ノ差別見分難シ〉などと述べている。
執筆者:大石 雅章
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