六条通(読み)ろくじょうどおり

精選版 日本国語大辞典 「六条通」の意味・読み・例文・類語

ろくじょう‐どおり ロクデウどほり【六条通】

京都市下京区の東西通り一つ。ほぼ平安京六条大路に当たる。その南に東西両本願寺があり、門前町一部をなす。近世には魚屋多く魚棚(うおのたな)通りともいった。六条。

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日本歴史地名大系 「六条通」の解説

六条通
ろくじようどおり

延暦一三年(七九四)の平安京開設の際に開かれた六条大路にほぼ該当。「坊目誌」は「魚棚通」として「東は下寺町に起り、西は醒ケ井通に至る。凡そ古の六条大路にして、延暦中の開通とす。文明以来全く荒廃に帰し、天正中再開する所なり」と記す。「明月記」元久二年(一二〇五)一月一〇日条には「昼南方有火、久不滅、自六条坊門町及六条烏丸」と、火災の記事がみえる。

江戸時代、本通りは東本願寺寺内町域では魚棚通と呼称されているが、貞享二年(一六八五)刊「京羽二重」には「此とをりうをや町あり」とある。また宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」には「此通魚や多し故に是を下魚棚といふ、高倉より東洞院までを下坂といふ、由縁詳ならず」と「下魚棚」の呼称がみえるが、これが七条通一筋南の下魚棚通との混同であるのか、固有の名称であるのか不明。

六条通
ろくじようどおり

[現在地名]旭川市六条通

明治三二年(一八九九)に新設された町。明治二五年一月旭川村市街予定地の区域設定では「へ通」(一―一三丁目)、同二七年四月の区域変更では「ぬ通」とされた。同三二年八月の字名変更により六条通が設定され、昭和四年(一九二九)四月の町名変更で五―二三丁目が置かれた。同二六年三月の町名変更で二四―二五丁目を追加。

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