日本大百科全書(ニッポニカ) 「共同体思想」の意味・わかりやすい解説
共同体思想
きょうどうたいしそう
人間は本質的に社会的存在である。それは人間の本質的要素として、DNA(デオキシリボ核酸の略語。遺伝子の本体)によって決められている、一般には本能とよばれるもののなかに「集団欲」という欲求があるからである。しかし現実的には「共同体」という概念で言い表される場合がかなりある。しかもそれは歴史的にさまざまな様態を示しているのである。その、それぞれの実態に即しながら、人々は共同体についてのアイデアや意見をもち、また変えていった。そうすることによってさらに新しい共同体の成立と発展をも促していったのである。このような共同体についての観念や知見を「共同体思想」という。
[二宮哲雄]
ヨーロッパにおける共同体思想の基底
共同体思想は、現代ヨーロッパの基底に根づき、いまなおその基層を脈々と流れている。
ソシオロジーsociologie(社会学)の学名をつくり、その学問体系を創始したのは、フランスのオーギュスト・コントであるが、彼の名前のコントcomteというのはもともと「領地」、「州」あるいは「選挙区」を意味するものであった。ソキウスsocius(仲間)の意識は生来彼の身体にしみついたものといえよう。このソキウス(ラテン語)とロゴスlogos(ギリシア語)を結び付けて、コントは「ソシオロジー」という学名をつくったのであった。
マッキーバーは、イギリス(連合王国)で、コミュニティcommunity(地域共同社会)の理論をつくったが、これがコミューンcommune(フランス語、英語)やコムーネcomune(イタリア語)、コミュノテcommunauté(共同体を意味するフランス語)と同じ語源であることはいうまでもない。
ドイツにおいてはテンニエスがゲマインシャフトGemeinschaft(共同社会)の概念をつくり、マルクスやウェーバーがゲマインデGemeinde(共同体)の概念を使った。これはフランス語の「コミューン」と同じ意味をもつドイツ語のゲマイン(共同)に源をもつ語群である。
現代ヨーロッパの範囲には入らないかもしれないが、ソ連でつくられたコルホーズkolhoz(集団的経営)や、ポーランドで町村の単位として使われたコムナkomuna(共同体)の制度は、これらヨーロッパの共同体思想と直接関連するものであろう。
[二宮哲雄]
共同体思想の復活
共同体思想の主軸をなすものは、やはり「共同」(全体)と「個」(部分)の関係についての観念であろう。その点で、共同体が、そのなかに住む個人としての成員を規制するという性格をもっていると考えられたのは、資本主義に先行する時代の社会においてであった。この近代以前の共同体は、たとえばゲルマン民族のつくった村落共同体(ゲルマン的共同体)に特徴的にみられるような、封建体制の支配下で農民を規制するといった、概して個人を拘束するという機能を備えていたと考えられていた。そしてそこでは「封鎖性」と「平等性」の理念が支配的となった。
資本主義社会に入ってからは、「不平等性」を原理とする階級分裂がおこり、共同体は解体していった。そこで個人は解放され、自由を獲得していくかにみえた。ところが予期に反して、資本主義生産のなかで、人間の労働は疎外され、商品化された人間は、人間性そのものをも喪失するはめに陥ったとする見方が強く現れた。共同体解体ののち、そうした個人は、互いに「分割」されるという悲哀に陥ったとする観念も芽生えた。ここに至って、かつての共同体が備えていた性格のうちいま一つの側面、すなわち農民や都市の職人の生活を支え、それなりに個人生活を安定させていた面が見直されてきたのである。そこから「連帯」の思想にスポット・ライトが当てられることになった。こうして、個々に分割された諸個人の連帯によって共同体を復活させ、人間の生活や人間性そのものを回復させていこうとする共同体思想が新しく発生したのである。
1871年に、フランスにおいてパリ・コミューンCommune de Parisが樹立されたが、その成立の基礎となった思想は、フランスの中世都市の共同体であるコミューンの理念であったと考えることができる。
社会体制との関連でいえば、資本主義への体制的批判の立場で行われている共同体思想と、資本主義体制を容認した形で考えられている共同体思想との、二つの性格のものがあることは注意しておくべきである。
高度成長に陰りがみえ始めた1980年代以降、日本で盛んに行われているコミュニティ活動と思想は、後者の範疇(はんちゅう)に含められていいであろう。そしてこれらも広い共同体思想のなかに含めることができると考えられる。すなわち、産業化、都市化が進むにつれて、地域社会の共同化が失われていくのを憂えて、行政や市民(地域)のレベルで、コミュニティ再生の考えが強まっている。
[二宮哲雄]
ヨーロッパ連合の成立と共同体思想
1993年にEU(ヨーロッパ連合)が誕生したが、これも共同体思想を受け継いだものといえよう。EUの前身のEC(European Community、ヨーロッパ共同体)は、正確にはヨーロッパの三つの共同体をさしてよんでいる。すなわち、(1)ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)、(2)ヨーロッパ経済共同体(EEC)、ヨーロッパ原子力共同体(EAEC)がそれである。1965年4月に署名された併合条約によってこれら三つの共同体が統合された。このもともとのきっかけをつくったヨーロッパ鉄鋼共同体のイニシアティブをとったのが、当時のフランス外相であったことも、コミューンという共同体思想発祥の地と絡んで歴史的意義を感ぜざるをえない。
なおECの加盟国は、当初6か国が署名国となったが、二度の年次を経て、1986年には12か国となった。フランス、西ドイツ(現ドイツ)、イタリア、ベルギー、ルクセンブルク、オランダ、イギリス、アイルランド、デンマーク、ギリシア、ポルトガル、スペインがそれである。さらに1993年EUに発展、1995年にオーストリア、スウェーデン、フィンランドが加盟して15か国となり、2004年にバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)、ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリー、スロベニア、マルタ、キプロスの10か国、2007年にブルガリア、ルーマニアの2か国、2013年にクロアチアが参加して加盟国は28か国となっている。
なおかかる風潮は、世界的にも広がる傾向がみられることも見逃すわけにはいかないだろう。その顕著な事例としては、1991年末のソ連邦崩壊ののち、独立国家共同体(CIS)が誕生したことがあげられる(2015年末時点の正式加盟国はアゼルバイジャン、アルメニア、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ベラルーシ、モルドバ、ロシアの9か国)。また、アジアには1967年設立の東南アジア諸国連合(ASEAN(アセアン))があり、インドネシア、カンボジア、シンガポール、タイ、フィリピン、ブルネイ、ベトナム、マレーシア、ミャンマー、ラオスの10か国が加盟している。
[二宮哲雄]
『K・マルクス著、飯田寛一訳『資本制生産に先行する諸形態』(1949・岩波書店)』▽『H・ルフェーヴル著、河野健二・柴田朝子訳『パリ・コミューン』上下(1967、1968・岩波書店)』▽『R・プラント著、中久郎・松本通晴訳『コミュニティの思想』(1979・世界思想社)』▽『小林昭三他編著『太平洋共同体時代の幕開け』(1992・早稲田大学出版部)』▽『西村豁通・竹中恵美子・中西洋編著『個人と共同体の社会科学――近代における社会と人間』(1996・ミネルヴァ書房)』▽『北原淳著『共同体の思想 村落開発理論の比較社会学』(1996・世界思想社)』▽『島田悦子著『欧州経済発展史論――欧州石炭鉄鋼共同体の源流』(1999・日本経済評論社)』▽『大塚久雄著『共同体の基礎理論』(岩波現代文庫)』